「重度障害」 Yくん 県立高校7年目の受験の春 一夜明けて蕗のとうが顔を
世間的には 「重度障害児」とみなされ、「特別な教育的支援を必要とする」ためその障害に応じた設備や教員が配置された「特別支援学校」で学ぶことが「適切である」と教育委員会から「指導」され続けてきたYくんは、近所の友達と一緒に地元の小・中学校の通常学級で学び・育ち合ってきた。写真は中学校1年生のPCを用いた授業風景(2003年)。Yくんの意思表現は相手の問いかけに対するYes・No・?を基本とする発声と表情・態度が中心。でも、体験を共有してきたクラスメートには、それで十分に豊富な会話となる。教員も生徒たちに助けられてコミュニケートできてゆく…。
そんなYくんが隣市の県立高校を受けた。2006年の春。県は入試に際して「障害による不利益がないように配慮する」として、点字受験や代筆、代読などを障害に応じて認め、障害があっても公平な入試が行えるとしている。代筆・代読は、Yくんの場合不可欠だが、小・中学校のクラスメートのように体験を共有している関係がなければ、本人の意思を反映できようがない。にもかかわらず、「公正性が担保できない」として、代筆か代読のどちらかはYくんとつきあったことのない特別支援学校の教員らが「専門家」として入る。伝わりようがない。というより拷問に等しいかも。そもそも、県は近隣の都県がYくんのような受験生のために記述式の問題を選択式に直すといった努力も放棄している。だから3割しか選択式の問題自体ないのだが。
それから毎年落とされても落とされても受け続けてきた。冒頭の写真に写っているクラスメートはすでに大学生になり、Yくんの受験に際して英語の問題を代読してくれたりして応援している。しかし、代筆は県教委の指定する初対面の教員だから、Yくんとコミュニケートできようがない。悲しいお笑いだ。
定員割れの時も落とされた。税金を使い、議会で決めた予算の下で、県民に公約した定員を、こんなに軽く無視していいのか?!
小・中学校の教員たちは、Yくんにふさわしい学校はほかにあるという就学指導の下にあっても、子どもたちに教えられ、支えながら、Yくんと一緒の授業を、学校生活を創ってきた。高校は多感な青春を生きる生徒たちがおり、職業や家庭、社会につながる学びの場だとすれば、これまで以上にYくんを迎え入れることで、豊かで意味深い授業や学校生活をめざせるはずだ。
昨夜、Yくんのお父さんから以下のメールが届いた。
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表題の通り本日学科試験を息子は受けました。
県教育局も昨年の轍を踏まぬように校長への発言を指導 また県総合教育センターから派遣される主事に対し、選択問題の解答記入(前回は息子の解答形式を理解せず、択一問題にも関わらず全てに○若しくは選択とした記入)にならないよう指導がなされ、表面上整った形をとりました。
しかし、それは表面のことであることは明白で、今回も選択問題しかできない息子に対し、記述問題の代読を行い(全て読まないと不公平になる?) と訳のわからないことを理由に1時間目の試験を実施、限られた時間で、限られた選択問題の解答に全力を尽くすしかない息子に無駄な時間を費やせました。
これも即座に抗議し、2科目目からは修正されました。
当然の配慮がなされないという情けない事態になった事に対し、息子に申し訳ないと恥じるしだいです。
応募者が今回募集数と同数と県の(さいたま公立高校ナビ2/27付)になっていましたが、さらに辞退者が出たようです(校長談)、この状態は、常々私共が主張している最低限(定員内不合格者は出さない2001年)に照らせば必然的に入学許可候補者になるはずですが、既に教員から「受け入れるのか」という声が「試験開始前の時点での情報」上がっているそうです。
これ即ち、予断と偏見に基づく差別ととらえなければなりません。
間髪入れず行動強化あるのみ。
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高校を私立にすべてまかせるのでなく、たとえば埼玉の場合65%は税金で運営する公立高校としている目的は、どこにあるのでしょうか?
みんなで考えてみませんか。
以上、facebookに書いたのですが、ブログにも載せておきます。
ついでに今朝のfacebookも。
あたたかな朝。さっき庭でみつけました。「ふきのとうはとおになる」 山代巴さんの本にたしかそんな歌が出てきたことを思い出しました。
戦時下の刑務所の.冬。隣の房に入った女囚が歌ってくれたのです。
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