またまた 定員内不合格 教育局よ!次世代に責任を果たせ
このブログでも何度か伝えてきたYくん(写真の車イス青年)が、なんと志望校の欠員補充でも、再び定員内不合格にされてしまった。以下は、どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会事務局の竹迫さんからのメール。
皆様へ
3月23日(金)の欠員補充発表で、4名募集のうち3名の番号しかなく、Yくんは不合格とされました。
またも定員内不合格です。
Yくんのお母さんとK夫妻、竹迫で11時から校長、教頭、事務長と2時半ごろまで話し合いました。
不合格の理由は、選抜の資料(調査書、学力検査、面接)がない、措置願は参考資料にしかならないということでした。
定員内不合格はあってはならないということは努力目標、校長判断で不合格にすることはある、といった前回と変わらない認識で、県からの指導があってもこんなものなのかと驚きがっかりしました。
調査書がないことや欠席したことが不利にならないようにした、選抜資料がないので能力適性が判断できない、としながらも、校長判断で不合格にしたということで、全く逆の校長判断をしています。
私たちが主席に指導してほしいといったのは、教職員の反対があっても入れると校長判断してほしいということだったにもかかわらず。
選抜資料がないと言いながら、情報コースでパソコンなどの学習がむずかしいといった学習面のハードルがあるというマイナスの判断はしていて(多分前回の入試で)、結局あいまいな能力適性ということです。
また、障害の重い人は特別支援学校の方が、ということも言っていました。
K夫妻からは多くの退学者を出していることとYくんを不合格にしていることの関連(教育観)や、共生の理念を学ぶ機会を捨てることになるといったことを話しました。
お母さんは中学校の部活でYくんが何部に入るか友だちが豊かな発想で考えてくれたことや小学校で代読・代筆を始めたころの話などをしました。
残り1名の欠員補充をするよう要望しましたが、留年生がいるのでというとんでもない答えが返ってきました。
4時ごろから7時半まで県民健康センターで主席、窓口との話し合いをおこないました。
主席からは15日夜の話し合いを受けて16日に指導したことや、22日昼前の事前協議で、措置願の扱いについてプラスになるよう指導したということですが、・・・・
要望したことを伝えてはいるようだが、高校には届いていない、
県の指導というのはいったい何なのだろうと思ってしまいます。
26日(月)は引き継ぎの話ということになっていますが、そんな気持ちにはなれません。
が、話し合いは行いますので、ご参加ください。 竹迫
以下はYくんのお父さんからのメール(写真は受験校での父子)。
七年目の受験NO.9欠員補充試験発表
各位
欠員募集発表を確認いたしました。
結果は不合格
高校の欠員募集人数は4人なので、丁度定員内ということに今回も本試験同様になり、本試験で定員内不合格になった際、学校及び県当局に説明を求め又是正を要求した結果が注目されました。
不合格理由
①試験に来なかった
当日具合が悪く「所定の欠席届(選抜要綱記載)」を出身中学校長を通し提出している。
②調査書が無い
埼玉県の規定で一定年数を超えた既卒生徒の調査書は破棄される「県の規定」に従い中学校は破棄しているのであって、受験生の責任ではない。
「この点については、本試験受験前に教育局の坂下主事より指摘があり、それに変わるものとして(選抜要綱記載の卒業証明書を提出済み)」
③欠席届に添えられた「中学校発行の副申」が真っ白だった
副申は中学校の校長の責任において作成されるもので、その記載について受験生の責任でない(保護者が提出した欠席届をその通りということで余計な内容を記載しなかった)
尚、保護者が提出する欠席届の定まった様式は無いと教育局の主席指導主事よりご指示いただいている。
以上3点を見た時評価するデーターが「無い」と言うが、何れも手続きに則った対処をしており、評価すべきデーターが無いというのは埼玉県の「入学者選抜実施要綱・入学者選抜要領」に逸脱した行為で不当極はまり無いものです。
埼玉県教育局に全員で脱法行為を改めさせ、今年の入学を認めさせましょう。
公立学校の先生は「総論賛成(人に優しく)、各論反対(自分が当事者になり担当する事)」この方たちに教育を受ける生徒が社会に巣立つときどのような感受性をもった社会人になるのでしょうか。
Yくんが高校で学ぶイメージがどうしても浮かばないなら、本人としっかりつきあってみることから始めるべきなのに、入試選抜があるんだから落とせるとたかをくくっていた校長や教職員たち。
しかし、障害による不利益はあってはならないことや、定員内不合格は許されないということを、教育局を介してつきつけられたため、これがだめならあれをと口実を探し回る現場高校教職員・校長らの醜態をさんざんに見た。
とはいえ、けっきょくは、結果として「合否は校長の裁量権」ということを言い訳にして、いっさいを反故にする定員内不合格を認めてしまった県教育局に最大の責任があることは明らかだ。
今回、3月15日に欠員補充を受けることを前提に交渉を行った(上の写真)際、主席は先の入試で局の指導が及ばなかったことへの反省を踏まえて、今度は高校に対して次のような指導をもって臨むと、私たちに約束した。
①点数に開きがあっても定員に満たなければ可能な限りその全員を入学許可候補者とするよう努める
②選抜において障害を見ることをせず、あらかじめ定められた評価項目を設けて公平に評価する
③最終的には校長が判断する(職員の意見を聴取しても最終的な決定は校長が行う)
④選抜要領の趣旨について教職員の啓蒙・意識改革に、校長、教育委員会で取り組む
⑤Y君の場合調査書がない受験生のため、選抜において措置願をどう取り扱うかということを、前もって明確にしておく必要がある。
この交渉に参加したYくんのお父さんは、先の受験で定員内不合格にされて以来、Yくんの体調が悪化しており、欠員補充の受験当日試験場に行けないおそれがあることを、志望校にも願書提出と併せて伝えてきたことを明らかにした。
それに対し、主席は「一般論でいえば、当日インフルエンザで受けられないといった場合の選抜方法について、選抜要領に示されている」と述べ、「その事由を証明する書類を提出させ、当該受験者に不利にならないよう留意し、各高等学校で取り扱いを定める」という部分を示していた。
このように、少なくともコトバの上では、当該校において定員内不合格が繰り返されるはずがなかった。
にもかかわらず否定的な現実が再びもたらされたということは、この主席のコトバが局全体の意志としての力をもっていなかったからにほかならない。
「主席はああ言ってはいるが、最終的には校長判断だから」という程度の受け止められかただ。
歴代主席が繰り返してきたように、「教育長の意を体して」発せられたコトバとして受け止められたとすれば、「局全体の方針なのだから不安材料はいっぱいあるが校長判断で入れよう」となったはずである。
だから15日にも主席にその懸念を伝えたのに!何が「教育長の意を体して」なのだ!?
主席は常に「報告をしているから」と答えてきたが、当事者能力を果たせない、丸投げ体制としか思えない。
教育長を含めた局全体の責任を明確にすべきだ。
共に学び育ち合ってきた子どもたち、もう青年になった これからの社会を担う若者たち(下の写真)のためにも!
共に働き・共に暮らす社会への接続を阻んでいる元凶は、適格者主義を容認・助長している高校入試選抜制度だ。
皆様へ
3月23日(金)の欠員補充発表で、4名募集のうち3名の番号しかなく、Yくんは不合格とされました。
またも定員内不合格です。
Yくんのお母さんとK夫妻、竹迫で11時から校長、教頭、事務長と2時半ごろまで話し合いました。
不合格の理由は、選抜の資料(調査書、学力検査、面接)がない、措置願は参考資料にしかならないということでした。
定員内不合格はあってはならないということは努力目標、校長判断で不合格にすることはある、といった前回と変わらない認識で、県からの指導があってもこんなものなのかと驚きがっかりしました。
調査書がないことや欠席したことが不利にならないようにした、選抜資料がないので能力適性が判断できない、としながらも、校長判断で不合格にしたということで、全く逆の校長判断をしています。
私たちが主席に指導してほしいといったのは、教職員の反対があっても入れると校長判断してほしいということだったにもかかわらず。
選抜資料がないと言いながら、情報コースでパソコンなどの学習がむずかしいといった学習面のハードルがあるというマイナスの判断はしていて(多分前回の入試で)、結局あいまいな能力適性ということです。
また、障害の重い人は特別支援学校の方が、ということも言っていました。
K夫妻からは多くの退学者を出していることとYくんを不合格にしていることの関連(教育観)や、共生の理念を学ぶ機会を捨てることになるといったことを話しました。
お母さんは中学校の部活でYくんが何部に入るか友だちが豊かな発想で考えてくれたことや小学校で代読・代筆を始めたころの話などをしました。
残り1名の欠員補充をするよう要望しましたが、留年生がいるのでというとんでもない答えが返ってきました。
4時ごろから7時半まで県民健康センターで主席、窓口との話し合いをおこないました。
主席からは15日夜の話し合いを受けて16日に指導したことや、22日昼前の事前協議で、措置願の扱いについてプラスになるよう指導したということですが、・・・・
要望したことを伝えてはいるようだが、高校には届いていない、
県の指導というのはいったい何なのだろうと思ってしまいます。
26日(月)は引き継ぎの話ということになっていますが、そんな気持ちにはなれません。
が、話し合いは行いますので、ご参加ください。 竹迫
以下はYくんのお父さんからのメール(写真は受験校での父子)。
七年目の受験NO.9欠員補充試験発表
各位
欠員募集発表を確認いたしました。
結果は不合格
高校の欠員募集人数は4人なので、丁度定員内ということに今回も本試験同様になり、本試験で定員内不合格になった際、学校及び県当局に説明を求め又是正を要求した結果が注目されました。
不合格理由
①試験に来なかった
当日具合が悪く「所定の欠席届(選抜要綱記載)」を出身中学校長を通し提出している。
②調査書が無い
埼玉県の規定で一定年数を超えた既卒生徒の調査書は破棄される「県の規定」に従い中学校は破棄しているのであって、受験生の責任ではない。
「この点については、本試験受験前に教育局の坂下主事より指摘があり、それに変わるものとして(選抜要綱記載の卒業証明書を提出済み)」
③欠席届に添えられた「中学校発行の副申」が真っ白だった
副申は中学校の校長の責任において作成されるもので、その記載について受験生の責任でない(保護者が提出した欠席届をその通りということで余計な内容を記載しなかった)
尚、保護者が提出する欠席届の定まった様式は無いと教育局の主席指導主事よりご指示いただいている。
以上3点を見た時評価するデーターが「無い」と言うが、何れも手続きに則った対処をしており、評価すべきデーターが無いというのは埼玉県の「入学者選抜実施要綱・入学者選抜要領」に逸脱した行為で不当極はまり無いものです。
埼玉県教育局に全員で脱法行為を改めさせ、今年の入学を認めさせましょう。
公立学校の先生は「総論賛成(人に優しく)、各論反対(自分が当事者になり担当する事)」この方たちに教育を受ける生徒が社会に巣立つときどのような感受性をもった社会人になるのでしょうか。
Yくんが高校で学ぶイメージがどうしても浮かばないなら、本人としっかりつきあってみることから始めるべきなのに、入試選抜があるんだから落とせるとたかをくくっていた校長や教職員たち。
しかし、障害による不利益はあってはならないことや、定員内不合格は許されないということを、教育局を介してつきつけられたため、これがだめならあれをと口実を探し回る現場高校教職員・校長らの醜態をさんざんに見た。
とはいえ、けっきょくは、結果として「合否は校長の裁量権」ということを言い訳にして、いっさいを反故にする定員内不合格を認めてしまった県教育局に最大の責任があることは明らかだ。
今回、3月15日に欠員補充を受けることを前提に交渉を行った(上の写真)際、主席は先の入試で局の指導が及ばなかったことへの反省を踏まえて、今度は高校に対して次のような指導をもって臨むと、私たちに約束した。
①点数に開きがあっても定員に満たなければ可能な限りその全員を入学許可候補者とするよう努める
②選抜において障害を見ることをせず、あらかじめ定められた評価項目を設けて公平に評価する
③最終的には校長が判断する(職員の意見を聴取しても最終的な決定は校長が行う)
④選抜要領の趣旨について教職員の啓蒙・意識改革に、校長、教育委員会で取り組む
⑤Y君の場合調査書がない受験生のため、選抜において措置願をどう取り扱うかということを、前もって明確にしておく必要がある。
この交渉に参加したYくんのお父さんは、先の受験で定員内不合格にされて以来、Yくんの体調が悪化しており、欠員補充の受験当日試験場に行けないおそれがあることを、志望校にも願書提出と併せて伝えてきたことを明らかにした。
それに対し、主席は「一般論でいえば、当日インフルエンザで受けられないといった場合の選抜方法について、選抜要領に示されている」と述べ、「その事由を証明する書類を提出させ、当該受験者に不利にならないよう留意し、各高等学校で取り扱いを定める」という部分を示していた。
このように、少なくともコトバの上では、当該校において定員内不合格が繰り返されるはずがなかった。
にもかかわらず否定的な現実が再びもたらされたということは、この主席のコトバが局全体の意志としての力をもっていなかったからにほかならない。
「主席はああ言ってはいるが、最終的には校長判断だから」という程度の受け止められかただ。
歴代主席が繰り返してきたように、「教育長の意を体して」発せられたコトバとして受け止められたとすれば、「局全体の方針なのだから不安材料はいっぱいあるが校長判断で入れよう」となったはずである。
だから15日にも主席にその懸念を伝えたのに!何が「教育長の意を体して」なのだ!?
主席は常に「報告をしているから」と答えてきたが、当事者能力を果たせない、丸投げ体制としか思えない。
教育長を含めた局全体の責任を明確にすべきだ。
共に学び育ち合ってきた子どもたち、もう青年になった これからの社会を担う若者たち(下の写真)のためにも!
共に働き・共に暮らす社会への接続を阻んでいる元凶は、適格者主義を容認・助長している高校入試選抜制度だ。
この記事へのコメント
うちの子は、クラスで暗黙の了解の内に障害児のお世話係にされました。
当初障害児は大人しかったので見守っていました。
障害児を嫌う子達がうちの子さえイジメの的にしてきて。
未然に防ぐよう学校に申しましたが対応して貰えず。
イジメはエスカレートし子供は下血発病しました。
イジメが始まって11年、地域で現在も嫌がらせは続いています。
発病治療が始まって8年、将来も暗いです。
現在も完全自費治療中です。
障害児と普通に付き合ったため起きた悲劇被害がある事も
心の片隅に置いててください。
Y君は、その意思を持ってはいないのではないでしょうか?
親の自己満足で、ふつう高校に、Y君にとっていいことであるとは思えません。
そもそも、学力で判断する入試が差別になるというのも意味がわかりません。
障害は病気ではありません。障害は治癒することはありません。一生、死ぬまで付き合っていかなくてはなりません。
障害があることを真の意味で受け入れ、障碍者が少しでも生きやすいように、訓練をしたり、療育したりする学校や施設を何故拒むのでしょうか?
障碍者がふつう中学、高校に入れることが、障碍者本人にとって、果たしてプラスになるのか疑問です。
教育問題が起こる基本法制構造 自主的問題発見と、自律的解決ができない法制度的理由、権利保障の不備と教育の国際標準法制との比較日本の法制は教育機関設置の由な教育選択の自由と親の教育権の尊重学校内での子どもの人権保護を欠いているす。
国際的な条約(世界人権宣言、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約こどもの権利条約、ヨーロッパ条約)は次のような原則を表明している。これらの
原則は、ほとんどの欧米諸国の法制中に実現されています。
1 すべての人に対する「教育への権利」
2 無償の初等教育
3 初等教育を経験する義務
4 高等教育を受ける機会の均等
5 親が子どもに与えるようと望む教育の種類を選ぶ権利
6 親が公的権威によって維持される学校以外の学校を選ぶ権利
7 誰でも、教育機関を設立し運営する権利
Eurydice (ヨーロッパの教育データベースhttp://www.eurydice.org/accueil_menu/en/frameset_menu.html)より
これらのうち、2(無償の初等教育),3(教育義務の存在),4(教育の機会均等)については、日本の憲法と教育基本法が保障している。
国際標準との不一致が存在するのは、1(教育への権利),5(教育の種類を選ぶ権利),6(公立学校以外の学校を選ぶ権利),7(教育機関設置の自由)です。