八障連(八王子)のすごさの秘密を探ってきます
冒頭の写真は、八王子ワークセンターの「リボーン」が運営するペットボトルリサイクル工場。2010年7月に、NPO法人障害者の職場参加をすすめる会で訪問・交流した。働いている人は全部で38人、そのうち障害者は21人、ジョブコーチ2名、そのほかは指導員と事務職の職員。すべて最低賃金の800円/時間以上の賃金と年3回のボーナスが支給されている。
この八王子ワークセンターを生みだした母体である「八障連」(八王子障害者団体連絡協議会)からお呼びがかかり、9日(土)に出かけてくる。以下は送っていただいたチラシ。
埼玉「わらじの会」との交流イベント
―「しがらみを編みなおす:わらじの会」から学ぶこと!―
日時:2012年6月9日(土) 午後1時30分~4時(午後1時開場)
会場:マロウドイン八王子:2F鳳凰(ほうおう)の間
八王子市三崎町6-11 ☎042-623-7111(八王子駅北口より歩5分)
八障連の会員の皆さん!
八障連スペシャル企画として、埼玉「わらじの会」の方々をお招きして、フォ-ラムを開催します。「わらじの会」は埼玉県の春日部市や越谷市などを中心として活動している団体で、デイケア、生活ホ-ム、介助サ-ビス、お店、販売集団、生活支援センターなどの事業を行いながら、「いっしょに街に出よう」と30年前から活動しているユニ-クな団体です。
八障連は八王子市の作業所団体を中心として、当事者団体も含めたゆるやかで横断的な組織です。それぞれの悩みや課題を交流し共有し解決の道筋を探り、又行政とも交渉、提言などを重ねてきました。一方「わらじの会」は、個別の介助などの取り組みから、「障害者にとっての自立」を模索し、必要に迫られ先に述べた様々な運動や事業を展開しています。
「来たときが会員」、障害や資格の有無を問わず「-障害のある人もない人も共に街で-」と活動を続けており、八障連とは運動の組み立て方や発想がずいぶん違うようです。
26年の歴史を持ち、地域の中で障害種別を越え、障害者の生活向上の取り組みを通して、誰もが住みやすい街づくりを目指し模索してきた八障連。八王子市の運動がそれぞれに課題や問題を抱えつつも、忙しさ?で個別に埋没?しがちな昨今、もう一度原点の点検、確認を迫られているように思います。
このスペシャルフォ-ラムで、「わらじの会」の30年持続、深化してきたエネルギ-に学び大いに刺激を受け、これからの活動に活かしていきたいと思います。まずは「わらじの会」のHPをご覧ください。
是非、多くの方に参加していただき、交流を深めたいと思います。ご参集下さい。
「八障連とは運動の組み立て方や発想がずいぶん違うようです」と謙遜されているが、あちらは全市の60数団体の連携組織であり、しかも上記リボーンをはじめとするさまざまな働く場を運営する法人の母体である。わらじの会とは比較にならないすごさだ。
でもそんな大組織が招いてくれたのだから、わらじの会の活動が八王子の方々の「もう一度原点の点検、確認を」という思いにつながる何かをはらんでいるのだろうと勝手に解釈して、お招きを受けることにした。あわよくば、自分たち自身が気がつかない要素を、八王子の皆さんから発見していただけたらありがたいし。何よりも、八王子の運動が成り立った秘密を、より深く知りたい。
八障連は1986年に結成されたという。その頃をふりかえると、八王子の人々にもけっこう埼玉に来ていただいている。ヒューマンケア協会・中西氏(下の写真)、八王子自立ホーム・寺田氏(いずれも1987年)。結の会・脇田氏(1989年)。もちろん全国各地から来ていただき、またこちらからもよく出かけた。
1970年代末のコロニー化政策が破たんし、「収容主義から在宅福祉重視へ」と叫ばれつつ、しかし自治体・国の転換は遅く、地域で生きる障害者・関係者自らが手探りで共に生きる場、働く場、ケア、共同住宅などを作り出し、それを自治体が追認し始めた時代だった。養護学校義務化はけっきょく阻止できなかったが、教育委員会の就学指導に従って特別な教育の場へ囲い込まれる親子は一向に増えず、養護学校の新入生は一人もいないところさえあった。
埼玉は東京を除く関東の中でも「福祉後進県」とみなされ、急激な都市化による人口流入がその「後進性」をさらに対照的に浮き立たせていた。
筆者らは新住民として埼玉に着地し、解体し始めていた農村の旧住民たちの、その背後に隠されていた障害者たちの生きざまと出会うことにより、「遅れ」を解消する道はまちがいだと思い知らされた。
「遅れ」の中は都市と農村の出会いとぶつかりあいが息づいている。「遅れ」をけんか友達として、すったもんだしながら一緒に生きることの大切さを実感した。
それが一定の確信に変わり始めたのが、1986~8年ころだった。恩間新田の新坂姉妹が分家して生活ホーム・オエヴィスができるのは1990年、新坂きみ子さんが生前贈与の代わりとして親が田圃を寄付し生活ホーム・もんてんとくらしセンターべしみができるのは1995年だが、そのような「しがらみの編み直し」への道が1986~7年に方向づけられたといえる。
その時、1981年にスウェーデンの障害を持つ友人たちが語った「私たちは回り道をしてきた。あなた方は遅れているのだから、私たちのように回り道をする必要はない。」という言葉が、からだに浸みこんできた。
だからこそ、八王子をはじめ、全国各地の試みや思想を、私たち流の消化の仕方で栄養にさせていただくことができた。さもなければ、消化不良で、孤立の道を選んでいただろう。この過程があったからこそ、JILにも参加したし、共同連や要求者組合ともつきあい、普通学級就学や高校の活動での交流も行ってこれたのだ。
ところで、かっての八王子は東京にとって「内なる埼玉」のような位置にあったのではないだろうか。私たちと通底するような経験の記憶は残っていないのだろうか。八王子の「すごさ」の中に「しがらみを編み直す」過程は見いだせないのだろうか。
ともあれ、八王子の「すごさ」の構造を、私たちなりのしかたで読み取ってきたいと思う。行ってきます。
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