スウェーデンの友人達に通ずる八障連の懐の深さを感じて帰り、いま「しがらみ」を語る

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月刊わらじ6月号の表紙を飾った写真が上。以下がそのキャプション。
「八障連」?正しくは八王子障害者団体連絡協議会。東京都八王子市の70団体が参加する大組織で、市との毎年の交渉はもちろんのこと、障害者30人・健常者20人を雇用するプラスチック資源化工場など多様な働く場をもつ八王子ワークセンターの母体でもある。そのすごい組織からなんとわらじの会にお呼びがかかり、6月9日、写真にあるように「しがらみを編みなおす わらじの会から学ぶこと」という交流イベントを 開催していただいた。

 八王子にはヒューマンケア協会を生んだ若駒の家や養護学校義務化阻止の拠点であった八王子養護学校に縁があるグループ、さらには多数存在する精神病院から地域へと長年取り組んできたわかくさ会など、障害者運動の草分けともいえる団体がいくつかあり、そこから分かれた地下茎が地を耕し、さらに新たな実生が育って…といった豊饒な土壌が存在することを、今回初めて知った。こんな沃野がそう遠くない地にあったのだ?!
 
 と同時に、自然界で生態系が遷移するように、また人間社会そのものが世界同時恐慌や大震災・原発危機等の根底からの問いをつきつけられているように、八障連もまたそのありかたの見直しに迫られているのだということもわかった。この日のイベントは「八障連スペシャルフォーラム」と名付けられていたが、3年ぶりの開催だと聞いた。そのような場で、弱小団体・「しがらみを編みなおす」を語れというのだから、少なくとも中心を担う方々はよほど悩んでおられるのだ。
 
 
 さて、この結果は?それぞれの片思いがすれちがったところで時間が来てしまったのかも。「しがらみを編みなおす」のはここからだったなとふりかえる。ケはしがらみの世界、ハレはかみとの交わりの世界。ハレが終わりしらじらと夜が明け始め、シラケドリが飛んでゆき、ケが再来する「間」こそ「しがらみを編みなおす」ときが現れる。実際、イベント後の二次会では、入り乱れることで、伝え合えたものがけっこうあったと思う。
 
 
 八障連が先駆的に開拓してきた共に生き・共に働く関係―それらもまたサービス化の流れに組み込まれ、しがらみと化しつつある中の悩みは、規模こそちがえ埼玉の私たちと通底するものが多いと感じて帰ってきた。



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ということで、前回のブログで告知した「八障連スペシャルフォーラム」にゲストとして招かれたのだが、こちらの目的は「八障連のすごさの秘密を探る」だった。そのへんをもう少し詳しく報告しよう。

 さて当日はあいにくの大雨にもかかわらず、各団体の中心メンバーと思われる方々が20名ほど集まって下さった。そこへ当方から7名が参加。

 わらじの会からの報告。メインの吉田弘一のプレゼンは、わらじの会の事業体がピラミッド型ではなく、アメーバ型であること、かつそれはCILわらじ総合協議会の枠組みであり、わらじの会はそれを含んだ星の屑でできている小宇宙のようなものであり、来た時が会員、出入り自由の白昼夢のような組織であることを表現。特にわらじ大バザー、夏合宿、みんな一緒のクリスマスが最大行事であることや、黄色い部屋での会報編集、さらにはプランづくり会などを具体的に紹介した。そこへ野島久美子(埼玉障害者市民ネットワーク代表)の会との遭遇、飛来、そして冒険のスペクタクルを織り交ぜ、本人の「早くつけてよエレベーター」独唱も組み合わせた。さらに、水谷がかって野島が突如春日部に家出してきた時の状況を再現し、伊藤が月刊わらじに毎月載る「なかまのつどい」を説明し、大坂が「無資格無認可スーパーマルチ介助者」であることを語り、地元八王子から埼玉県立大学に通う市川がわらじの会の面白さを語った。
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 筆者は、わらじの会が自立に向かってはばたく家準備会を生みだし、そこからケア、住まい、労働の独自な形が生み出されてゆく転機に、八王子の先駆者たちを参考にさせていただいたことや、最近も再びワークセンターの多様な働き方を参考にさせていただきながら、独自の活動を育ててきたことを補足した。そして、今日の私たちの目的は、そのワークセンターを生みだした八障連のすごさの秘密を探ることにあると述べた。

 以下は、八障連の面々からの発言要旨。あくまでも筆者のメモにある内容が主なので、重要なことが抜けていたり、聞き間違いしているかもしれないので、筆者の印象として受け取っていただきたい。

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 まず八障連代表の多田さん(上の写真)。いまの八障連の状況について。「集まる機会があっても出てこなくなっている。現場が忙しくなっていることもあるし、期待感も変わってきている。力を入れて運動して行こうという時代ではなくなっているのかと思う。これからどうしていくか、率直なところを話できればと思う。」個別わらじの会レベルではけっこう人は集まる。しかし、埼玉レベルでの状況は、まさに多田さんの指摘と同じだ。

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副代表の杉浦さん(上の写真)。「立場でいえば、自分は第一若駒の家の利用者だが、若駒はもともと当事者決定の強い団体。八障連は当事者が出ていかなければ始まらないから、わけがわからなくてもいいから顔を出すように言われ続けてきた。八障連に顔を出す習性は3代前からある。市という大きなものとあたるためには、他の障害者のことも知らなければいけないと常に言われてきた。」八障連に世代をこえて血液を循環させるポンプの存在を示している。特に「わけがわからなくてもいいから」には喝采を送る。何よりもそこにいることが大事。ただそこに存在し続けることが、「しがらみ」そのものだ。

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やはり副代表の結の会・脇田さん(上の写真)。「わらじの会の人たちは、他の親の会とかきょうされんのグループの人たちとどんなつきあいがあるか?八障連はそうした所も含めてゆるい形で一緒にやって行こうということでやってきた。ほんとにやる気があるのなら応援しますよという形で。互いの関係は薄いけれどもつながっている。それでいいのだろうかという気持ちはあるが。町会の回覧板が回っていくという感じで情報が回ってゆく。だから続けてこれているのかなという気持ちはある。3障害さまざまな関係で来ている。異なる立場の人が集まっているから、自分達の課題を出せばいいというだけでなく、他の人の課題も聞くことになる。それを自分達の課題としてとらえられるような場にしたいなと、私自身は思っている。そういうところは八障連をやってきてよかったなと、私自身は思い続けている。」

 任意団体のわかくさ会から生まれた社会福祉法人マインド八王子の有賀さんも杉浦さんと同様に、「先輩の代から八障連の運営に関わっている。」と語る。「自分のところは大きな団体だから、何か分からない問題があれば同系の他の施設の人に相談するということができるが、一つの施設しかない団体も多いので、八障連に出てくることで他団体と情報交換できる。また私たちのところは精神の団体なので、知的障害や身体障害の団体の話を聞き、ちがうところや同じところがわかるので大変ありがたい。」さまざまな他者の存在の意味を実感している。

 
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八障連前代表の土居さん(上の写真)が、成り立ちを総括的に話してくれた。土居さんが生活文化学校に関わったのと八障連立ち上げがほぼ同時期だった。当初の代表は若駒の家から生まれたヒューマンケア協会の渡辺さん。事務局長がわかくさ会の○さん。この八王子では大きな二つの団体が地域のことを考えようと立ち上げの中心となり、その後も困難はありながらずっと中心の役割を担ってくれてきたという。土居さんは、八障連を成り立たせている要因を以下のように整理してくれた。

 ①歴史ある団体の方が意識をもって活動してきてくれた。
 ②東京・八王子の特殊性―
    ⅰ.東京が金があり制度が充実しており、手帳所有者6人いれば作業所ができた。
    ⅱ.育成会が大きかったが、育成会以外の親たちも自分達で作業所を作っていった。障害児学校が多く あり、東京で一番作業所が多い。親の大将が多いと悪口も言われるが、全国的団体の八王子支部ではなく八王子単独で作って小さな団体が集まって大きな団体に対抗していくという構造がある。
 ③国際障害者年以降の時代的背景―
    ⅰ.障害種別をこえてやってゆこうという雰囲気。聴覚・視覚など施設を持たない団体が活発に活動して いたが、それらの団体にに対しても、ヒューマンケア協会の渡辺さん等がよくつきあわれていた。
    ⅱ.初めの中心だった身体障害者団体に対し、知的障害者の親の団体は身体障害者だけが優遇されているという不満もあったろうし、精神の人たちは自分達だけが制度が整っていないことに対して怒りもあったと思うが、その後多田さんなどがヒューマンを代表して事務局に入ってくれて、だんだん変って行った。
 ④運動の柔軟さ
    当初は対行政という感じで署名や陳情もやり、市からずいぶん嫌がられた時期もあった。自分が代表になった段階から市の現場と一緒にやって行こうという形にしていった。窓口を広くして、考えが違うことが最初からわかっている団体とも一緒にやって行こうという方針をとった。自分は普通学級就学をすすめようという考えだが、養護学校がいいという団体とも一緒にやる。「施設か地域か」と言った時も、施設がいいと思っている人はいず、しかし地域が受け入れないからやむをえず施設に行くので、最終的な目標は同じ。だから一緒にやって行く中でつながってゆけると思ってやってきた。

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 若駒ライフサポートの大須賀さん(上の写真)はここのところ年1回くらいの参加になっていると断りつつも、今日はわらじの会の話が聞けるというので出てきたと、うれしい一言。亡くなった夫君(若駒自立生活情報室室長)がわらじの会から初期のJIL事務局員として出ていた故糸賀美賀子に会いに行ったことがあると語る。わらじの会の源流のひとつに「総合養護学校をつくる会」があったということを知り、次のように語った。

 「私たち自身も親の会から始まり、養護学校づくりなどやっていた。廃品回収とかバザーとか、みんな楽しく運動していたのが、一人抜け二人抜けしていった。原動力というか…機関誌づくりでもそうだが、ホームページがいいよというので作成し、親たちが校正していても職員の参加が少なくなってきたり。

 親中心でやってきて、地域のいろいろな人が入ってNPOを作ったが、私自身も含めて、70、80の親御さんが増え、楽しいということでやってくれる人はいいけれど、残っている人は少ない。私たち自身がサービスという感じになってきて、若い親御さんもサービスを受け取るという感じになっている。この人がいるよ、この人と一緒に暮らそう じゃなくて…。格差社会というか、情報が取れない人はそこから脱落して、高齢の親がいまだに障害者をみているという感じ。

 八障連は人でつながっている感じで、たしかに町会のイメージ。回覧板が回ってきて、今日みたいにわらじの会の話だと聞けば行ってみようかなという感じで。わらじの会はさきほどの旅行に行くとか(夏合宿)いう形でつながっている原動力は何なのか?そこを知りたい。」

 大須賀さんは運動の牽引車だった親たちの高齢化、そして運動を通じて獲得された制度が運動を無化してゆく日常を語り、その日常をつきあわせる場としての八障連の大切さをおさえつつ、地域で共にという原点に基づく運動を再生するヒントをわらじの会の活動の中に探りたいと思っている。

 そして、再び多田代表。「八王子は行政の力がゆるい。小さなグループでもいいから作業所を立ち上げれば金を付けるからということで、数が増えたということがある。若駒の家から分かれたのが7、8ヶ所。なかには互いに疎遠になったところもあるが。また、育成会の中でもめごとがあり、分裂して出てきたグループが5,6ヶ所ある。
 
 八障連がなぜ続いているかということのひとつに、会費をけっこう取っていることがある。けっこう高額だから、活動をしなくちゃいけない。わらじの会は会費もないということだが、どうしているのか?

 また、八障連にいま問われているのは世代交代。自分も年をとって団体を回ったりできなくなった。小さな団体を回り情報交換することで、活動にも出てくる。前のように回れなくなったことが、集まりが悪い一因かと思う。わらじの会はアメーバだから世代交代は問題にならないのかどうか。」

 このようにわらじの会への問いかけという形を含めて、八王子の現状と課題がこもごも語られた。それに対してこちらからもこもごも応答はしたが、ストンと落ちるような説明はしきれなかったと思う。また、「しがらみを編み直す」というタイトルに惹かれてきたという何人かの方(ふきの会、八王子生活館等)のご期待にもこたえきれなかったと感じる。

 ただ冒頭の表紙にも書いたように、二次会も含めれば、そのへんはかなりカバーされたかなと思う。参加されなかった方には申し訳ないが。そこで、当日伝えきれなかったことを、次回のブログで述べてみたい。

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