<報告> どちらも「地域の現在」-ネガとしての協同まつり・ポジとしての市民まつり
10.20協同まつりinこしがや―地域の現在をネガでえぐる 協同まつりinこしがや @蒲生日の出商店街(上の写真) 自称貧乏神Hくんの電動車いす参上の故ではなく やはり三好達治の詩みたいにうら悲しく そして懐かしい。そこがいいんだよね。
でもせっかくのまつりなので、この後ワーカーズコープの I さんがわらじ号に乗りウグイス。結果午後はややお客が増えたかな。
協同まつりinこしがや 一番人気は道路脇の倉庫でやってたもちつき大会かな(上の写真)。 吉川もちつき隊の面々は石巻にも出かけてもちをついたんだって 今日も20回くらいついたらしいよ
NPO法人ファミリーリンクが地元の育成会・子ども会の協力を得てやっていた「子ども店長」もユニーク(上の写真)。おたまに入れた砂糖水を七輪で煮立てべっこう飴をつくる店。お客さんだけでなく店長も子どもというコンセプト。
このNPOは元保育士が多く何十年振りかのご対面もできた。
協同まつりinこしがや わがNPO法人障害者の職場参加をすすめる会は「内部被ばくを生き抜く」の上映会が開かれた蒲生東町自治会館前でミニバザー。いい映画なんだけど午前の部は観客が少なかったね。だからミニバザーの客もさっぱり。
午後はそれなりに観客が増え、買い物客も。上の写真右奥の黒シャツ、世一緒スタッフKくんはテキヤさんでバイトしてるだけあって、子ども客とのやりとりがいいなあ。
協同まつりinこしがや が終了し、静けさが戻った蒲生日の出商店街のワーカーズコレクティブ・キッチンとまとの前で売り上げを数えるワーカーズコープの人々(上の写真右3人)。
パンダ帽は会場内を動きまわり、大阪・豊能障害者労働センターのカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」を売って回っていたわらじの会野島さん。
その右は「今日は農園に学生が来なかったから」とふらりと現れのんびりとした午後を過ごして帰った見沼福祉農園協議会・猪瀬代表。
大海のようなわらじ大バザーを経て雑木林に囲まれた小さな沼のような今日のまつり。それぞれに地域の現在を凝縮した時空だった。
商店街の皆さま、自治会の皆さま、協力して下さった団体・個人の皆さま、ありがとうございました。
明けて10.21越谷市民まつり―地域のポジが内容する現在
越谷市民まつりに出店したNPO法人障害者の職場参加をすすめる会・世一緒。昨日の協同まつりinこしがやに続き連チャンだが、若者たちが元気。
越谷に400年前生まれ親しまれてきたが手間がかかるため消滅していたおいしいお米を復活させて作った太郎兵衛もち。その生産農家の青年たち(上の写真)。
太郎兵衛もちはわらじの会の生活ホームを切り拓いて亡くなった障害者N姉妹の生家でも作っているので親しみを感じる。稲がひょろりとしているので台風に弱いのだと姉妹のお兄さんに聞いたことがある。http://www.city.koshigaya.saitama.jp/kanko/tokusan/tarobei.files/panfucolor100.pdf
今日この越谷市民まつりでの世一緒の店のにぎわいがポジだとしたら、昨日の協同まつりin越谷の静かに流れるときがネガなのかもしれない。どちらも同じ地域の異なる断面なのだ。にぎやかなほうをとり、静かなほうをカットするということでは何も始まらない。
地域でかたちになりえないパワーを吸い取ってこの市民まつりというイリュージョンが成り立っているような気がする。
今日「サイポン」というゆるキャラが会場内を歩いていたが、世一緒の、昔自衛隊にいたメンバーのいうところではあれは自衛隊だという。後で実際に自衛隊が会場内で展示している場へ本人が見に行ってきた。自分がいたころより弁当の中身が格段によくなっているとか話していたが。
こんな風にして「国家」が地域の日常に素知らぬ顔で座っているようになったのだなあ。
市民まつりは市のイベントの中でも最大の動員力を発揮するときなので、ほんとうにさまざまな出会いが続く。いつのまにか「国家」が顔をのぞかせているし、思わぬ出会いもしばしば。
昨日の協同まつりinこしがやを終えたばかりの事務局長・ワーカーズコープ・石田さん(上の写真中央奥)が顔を見せたのは意外だった。「今日はビールを飲めます」と言いながら。
石田さんは東京・鬼子母神辺りの下町的な情緒の街で生まれ育ちいまも住んでおり、そこから今日も出かけてきた。しかし、父は草加の晒し屋に生まれ家業がいやで東京に出てきた人だそうだ。
晒し屋といえば紺屋とともに明治以降の草加の名産品だった浴衣生産に欠かせない地場産業。石田さん自身は子どもの頃、祖父母のところで白い布がはためいている情景が記憶の底に澱んでいるという。父のドラマはよく知らないらしい。
越谷市民まつりで世一緒の店を訪れた二人の市議。
上の写真左の玉生市議は市職員組合の委員長だったときに、わらじの会のデイケア・パタパタを利用する知的障害者のパタパタ職員による支援付きの職場実習を、市立病院の職員組合事務所で初めて受け入れてくれた。それが現在のNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の活動につながっている。
右の辻市議はわらじの会発足当時小学生で同じ学校に自閉症の先輩がいたり、住んでいる団地を車イスの面々が闊歩していたりしたことを記憶に刻みながら育ち、後にケアシステムわら細工の事務局専従も務めた。
ほかにも会派を異にする市議が世一緒の店に見えたり、挨拶を交わしていった。
かくて両日にわたった「見世」が終る
でもせっかくのまつりなので、この後ワーカーズコープの I さんがわらじ号に乗りウグイス。結果午後はややお客が増えたかな。
協同まつりinこしがや 一番人気は道路脇の倉庫でやってたもちつき大会かな(上の写真)。 吉川もちつき隊の面々は石巻にも出かけてもちをついたんだって 今日も20回くらいついたらしいよ
NPO法人ファミリーリンクが地元の育成会・子ども会の協力を得てやっていた「子ども店長」もユニーク(上の写真)。おたまに入れた砂糖水を七輪で煮立てべっこう飴をつくる店。お客さんだけでなく店長も子どもというコンセプト。
このNPOは元保育士が多く何十年振りかのご対面もできた。
協同まつりinこしがや わがNPO法人障害者の職場参加をすすめる会は「内部被ばくを生き抜く」の上映会が開かれた蒲生東町自治会館前でミニバザー。いい映画なんだけど午前の部は観客が少なかったね。だからミニバザーの客もさっぱり。
午後はそれなりに観客が増え、買い物客も。上の写真右奥の黒シャツ、世一緒スタッフKくんはテキヤさんでバイトしてるだけあって、子ども客とのやりとりがいいなあ。
協同まつりinこしがや が終了し、静けさが戻った蒲生日の出商店街のワーカーズコレクティブ・キッチンとまとの前で売り上げを数えるワーカーズコープの人々(上の写真右3人)。
パンダ帽は会場内を動きまわり、大阪・豊能障害者労働センターのカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」を売って回っていたわらじの会野島さん。
その右は「今日は農園に学生が来なかったから」とふらりと現れのんびりとした午後を過ごして帰った見沼福祉農園協議会・猪瀬代表。
大海のようなわらじ大バザーを経て雑木林に囲まれた小さな沼のような今日のまつり。それぞれに地域の現在を凝縮した時空だった。
商店街の皆さま、自治会の皆さま、協力して下さった団体・個人の皆さま、ありがとうございました。
明けて10.21越谷市民まつり―地域のポジが内容する現在
越谷市民まつりに出店したNPO法人障害者の職場参加をすすめる会・世一緒。昨日の協同まつりinこしがやに続き連チャンだが、若者たちが元気。
越谷に400年前生まれ親しまれてきたが手間がかかるため消滅していたおいしいお米を復活させて作った太郎兵衛もち。その生産農家の青年たち(上の写真)。
太郎兵衛もちはわらじの会の生活ホームを切り拓いて亡くなった障害者N姉妹の生家でも作っているので親しみを感じる。稲がひょろりとしているので台風に弱いのだと姉妹のお兄さんに聞いたことがある。http://www.city.koshigaya.saitama.jp/kanko/tokusan/tarobei.files/panfucolor100.pdf
今日この越谷市民まつりでの世一緒の店のにぎわいがポジだとしたら、昨日の協同まつりin越谷の静かに流れるときがネガなのかもしれない。どちらも同じ地域の異なる断面なのだ。にぎやかなほうをとり、静かなほうをカットするということでは何も始まらない。
地域でかたちになりえないパワーを吸い取ってこの市民まつりというイリュージョンが成り立っているような気がする。
今日「サイポン」というゆるキャラが会場内を歩いていたが、世一緒の、昔自衛隊にいたメンバーのいうところではあれは自衛隊だという。後で実際に自衛隊が会場内で展示している場へ本人が見に行ってきた。自分がいたころより弁当の中身が格段によくなっているとか話していたが。
こんな風にして「国家」が地域の日常に素知らぬ顔で座っているようになったのだなあ。
市民まつりは市のイベントの中でも最大の動員力を発揮するときなので、ほんとうにさまざまな出会いが続く。いつのまにか「国家」が顔をのぞかせているし、思わぬ出会いもしばしば。
昨日の協同まつりinこしがやを終えたばかりの事務局長・ワーカーズコープ・石田さん(上の写真中央奥)が顔を見せたのは意外だった。「今日はビールを飲めます」と言いながら。
石田さんは東京・鬼子母神辺りの下町的な情緒の街で生まれ育ちいまも住んでおり、そこから今日も出かけてきた。しかし、父は草加の晒し屋に生まれ家業がいやで東京に出てきた人だそうだ。
晒し屋といえば紺屋とともに明治以降の草加の名産品だった浴衣生産に欠かせない地場産業。石田さん自身は子どもの頃、祖父母のところで白い布がはためいている情景が記憶の底に澱んでいるという。父のドラマはよく知らないらしい。
越谷市民まつりで世一緒の店を訪れた二人の市議。
上の写真左の玉生市議は市職員組合の委員長だったときに、わらじの会のデイケア・パタパタを利用する知的障害者のパタパタ職員による支援付きの職場実習を、市立病院の職員組合事務所で初めて受け入れてくれた。それが現在のNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の活動につながっている。
右の辻市議はわらじの会発足当時小学生で同じ学校に自閉症の先輩がいたり、住んでいる団地を車イスの面々が闊歩していたりしたことを記憶に刻みながら育ち、後にケアシステムわら細工の事務局専従も務めた。
ほかにも会派を異にする市議が世一緒の店に見えたり、挨拶を交わしていった。
かくて両日にわたった「見世」が終る
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