学校から見えてくる教員たち― 一緒に学ぶ道を探る

 
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ジグソーパズルのピースが、ピタッと合った感じ。まだまだたくさんのピースがバラバラで残っているにせよ。

 親子中心でもない、教員中心でもない、どちらもいる場。ピースが合うとは、同じではないからだ。ぶつかるから、くいちがうから、その結果合うのだ。一致ではないが、かみ合うのだ。

ただし、今回のブログではもっぱら教員たちのことばについて記す。親子の話については、これまでくりかえし載せて来たので。また、今回の勉強会のタイトルは「学校から見えてくる子どもたち― 一緒に学ぶ道を探る」だが、ブログの内容は「学校から見えてくる教員たち― 一緒に学ぶ道を探る」に近いかも。

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上の写真は、この春、県立高校全日制に入学したKくん。小学校の後半から発症し、転んで脳挫傷を受けたことも加わり、筋力が低下していった。中学では体育の授業に一緒に参加させてもらえず、支援学級で受けさせられたりした。教育局との交渉でそうした経緯も伝え、みんなと一緒に近所の高校へ行きたいと訴えて来た。Kくんが高校に入っていちばんやりたかったのは、卓球部だったが、当初は危険とみなされ許可されなかった。しかし粘り強く訴え、今では顧問の教員がいる時だけという条件付きだが、卓球部の練習に参加していると、顔を輝かせていた。

 さて、上に述べた「かみ合う」という意味で、丸山巧さん(中学校教員・埼玉教組書記長)の言葉が本質を突いた。「こういう会がどこでも日常的に行われることが大切だと思う。」それが、インクルーシブだと。まさに、筆者のパワポのタイトル「共に生きるとはせめぎあうこと」、そのままに。

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丸山さんからは、導入時は比較しないと言っていた「全国学力テスト」が、「公的に行うものは公表義務がある」との口実で、都道府県別に、さらには市町村別に比較され、ついには学校別にと流れが加速されてきたことが語られた。子どもの貧困が16%という状況下、貧困による学力差も当然あるはずなのに、教員の力の差とみなされてしまう。子どもたちと一緒にやっていきたいのに、管理する時間ばかりが増えていく。昔は子どもたちに任せていた部活も、顧問の教員が朝練も放課後も夏休み中もいなければいけなくなってきた。そんな中で、いつの間にか文化祭が一日だけに切り詰められ、子どもたちが何かを創り上げるのではなく、夏休みの作品発表や文化部の発表の場になってしまったことに、丸山さんは異議を唱え二日間の文化祭を復活させた。すると、他の教員から「時代に逆行している」との反論が出たという。


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椎名久和さん(小学校教員)は、障害のある子を担任として受け持ったとき、「まじめな教員ほど追い込まれる」と語る。これは実感としてわかる。障害のある子の受け入れにもっとも熱心で、あれこれ関わり方を工夫したりしていた教員が、ある日とつぜん「この子はここにいるべきではない」と言い出したケースを、筆者も経験した。椎名さんは、教員が「なんで自分だけこんな子を受け持たなくちゃいけないんだ」と追い込まれて行く背景に、丸山さんが説明したような教員同士がどんどん競争させられてゆく状況があると指摘する。にもかかわらず、「入ってやってしまえばなんとかなる」と断言する。ただし、「一緒にいるだけでいい」と、教員も親も腹をくくらないといけないがと。そして、「親が教員を認め、教員が親を認める時、うまくいく。どちらかが要求すると相手も要求しようという感じになってしまう。」と付け加える。

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この椎名さんの話は、障害者就労の現場にも通じる。「一緒にいるだけでいい」というのは、クラス・学校の一員としての役割を分かち持つということであり、職場なら分業・協業の一端を担って事業所に欠かせない存在となっていること。特別な教育課程や別室、特別な職場を用意しないことだ。「別の場が用意されているのに、それを拒否している」のではなく、地域のみんなの一人として、互いに向き合い、一緒に生きることからしか始まらないというだけのことだ。
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現実には「うまくいかない」ことがいっぱいあり、「うまくいかない」ことを重ねて、ジグザクの末に「うまくいく」ことがあるんだと思う。「合理的配慮」ということも、予定調和のアイディアではないだろう。いやおうなしに競争させられ、上意下達の働き方を強いられ、できない子、手のかかる子を厄介者扱いせざるをえなくなってゆく教員たちの現実があるからこそ、腹をくくって入って行くほかに道はない。


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当日配られた資料集に、出席者の一人・山際俊和さん(小学校教員)の「中学生」という文章が載っていた。夜の小学校の校庭にたむろする中学生たち。「俺、学校が好きだから。」と答えたシンジは、その頃あまり中学校に登校せず、他の中学生たちと昼間から遊んでいた。幼い頃母を亡くし、祖母に育てられ、学校行事にも祖母が出ていた。その後ずっと現れなかった彼だが、中学校の卒業式の日に2人の友達と職員室に顔を見せた。教員たちが送った祝電が読み上げられ、会場が湧いたと語る。4月からどうするのかと聞くと、市内の高校の定時制の名をあげる。20分ほどいて帰ってゆくシンジの後ろ姿を見ながら、ふと「きょうの卒業式には祖母が出席したのだろうか。それとも父親が行ったのだろうか。」と思った。……この文章の冒頭は、「小学校には時々あまり歓迎されない来訪者がやってくる。」と書かれている。歓迎されない来訪者も含め、地域なんだなあとあらためて思う。だからこそ、なりふりかまわず一緒に行こうよと。

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もうひとつ、今日の集会で記憶に残っているのは、都幾川町議だった笹沼和利さんが、県立玉川工業高校が廃校になった時、元管理職と飲みながら言い合ったという言葉。「浦高につぶされた」 この高校は地元がつくり育てて来た文字通り「地域の公立高校」だった。それが一握りの超エリートと大多数の重々な労働力を育てるための公立高校統廃合によって消された。

以下は、主催した どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会の事務局・竹迫さんから、翌日届いたお便り。

 
皆様へ

昨日「学校から見えてくる子どもたち」集会へのご参加、ご協力ありがとうございました。
はじめて利用する「武蔵浦和コミュニティセンター」(新しくて便利)で、
30名ほどの参加がありました。
椎名久和さん、丸山巧さんからは、
小学校、中学校現場の、障害のある子どもを受け入れていく時の状況、
上意下達で超多忙、学力テストなどによる学力偏重などなど率直な報告がありました。

子どもを分けるのは大人の側の都合、子どもたちは一緒にいることで学び合っている、
しかし病休者も出るような現状、予算も付けてくれない、
そんな中でどう「一緒に学ぶ道を探る」かという問題提起もありました。

参加した親や本人からは、一緒に学んできた、あるいは分けられた体験、現在の学校生活のようすを話し、
一緒にやっていく中で変わっていくことの大切さを伝えました。

また、参加者として教員(山際さん)や移送サービス(笹沼さん)の発言もあり、
西山幸代さいたま市議の参加もありました。

椎名さんの話の中で、専門的に細かくなっていくと親も担任も追い込まれる、
大まかに、一緒に居られればいいやという気持ちでやっている、というのには同感です。
丸山さんの発言にもありましたが、このような集まりを持つことがとても意味があると思いました。
少しずつでも若い親や先生たちに声をかけていくのが課題です。
 
     どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会 事務局(竹迫)

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