画廊喫茶レポート― ゲストと当番スタッフのコラボの妙 プラス若干の考察
障害者職場参加ビューロー・世一緒のリニューアル企画第一弾!体験的画廊喫茶&午後のゲストトークの1週間。4月6日(月)開幕し、10日(金)に閉幕。
ここ世一緒の当番は、主に越谷市から運営を受託している障害者就労支援センターの登録者の就労準備実習の一環で、毎日人が替わる。鍵の開け閉めから来客対応まで担っているが、来客の多くはなじみの登録者や支援者が多く、なれ合い的になりやすい。だが、そうなると初めての人々は入りにくい雰囲気になる。
そんなジレンマをこえ、いろんな人々が出会い、関係を編み直す面白さを実感するために、この企画を立てた。
世一緒の表半分を画廊、カフェ、イベントスペースに変え、その日の当番はホールスタッフとなり、午後のトークショーの司会となる。
いつもは居眠りが多い初日の当番Nくんもネクタイを締めると、さまになっていた。
そう感じる周りの視線が、本人のモチベーションに。
初日の月曜午後のゲストは、ワーカーズコープの小野宏さん。
働く人々自身が仕事の経営もみんなで担ってゆく同団体の理念や、環境との共存を図るエコストーブの紹介をしてもらった。
二日目火曜のゲストは、ハウスクリーニングきくちのお二人。30数年前、共同保育の保育者だった菊地一範さんが、障害の有無に関わらず地域で共に育ち学ぼうという親子の会で、就学前の栗村孝司さんと出会ってからのつきあい。
上の写真は、前の週の土曜日の清掃現場で。ポリッシャーで床を洗う栗村さん。
三日目水曜のゲストは、埼玉トヨペット㈱本社ショールームで障害者、子ども、高齢者等を含む共生の街づくり活動の事務局を務める社会貢献課の轟和宏さん。
同課の日常も障害のある社員とのすったもんだを積み重ねている。
四日目木曜のゲストは、地元越谷市で幅広い活動をしているNPO法人ファミリーリンク越谷の出村常子さん、三田寺さん、小林さん。
三人は保育所、学校給食等で働き子ども達と関わったが、子育ては大人の自分育て、地域育てでもあると実感。上の写真は小林さん。
今日は出村さんによる参加者全員とのQ&Aや、三田寺さんによるマジックをまじえて、出会いを楽しんだ。
最終日金曜のゲストは、壁に飾られたPC画の作者で、三回の脳卒中を経て片麻痺・車イス生活の坂田和美さん。
マヒを逆手に取ったPC画もさることながら、言語障害を武器にした小噺が冴える。
特に𠮷;幾三の「と・も・子」の紙芝居版は、本家を凌駕する独自の世界観を感じさせた。
展示されていた絵は、世一緒と私の生活の場である谷中耳鼻科ですべて購入した。イベントは終了したが、画廊喫茶にしたスペースは、このまま区切って街につながる空間としたい。全体が部活の雰囲気だった世一緒をやや変形させ、流れゆく領域と淀みの領域を併せ持つ場としたい。
この1週間で確認したのは、人が出会えばそれだけで互いが変り、街が面白くなりうること。無理につめこんでも10数人しか入れない空間でゲストトークを開催したのだが、公共の場で数十人でやる時にはない、せめぎあう芸が成立した。受け手が時には話し手に変り、ごちゃごちゃした味わいが生じる。
いま人々が分け隔てられゆく時代に、こんな風に漏電の火花が乱れ生じる状況を、あちこちで共有してゆきたい。たしかに世界はバラバラなカケラになっていて、みんなが袋小路に入り込み、閉塞状況は極まっている。しかし、細かいカケラのひとつひとつが世界地図のネガでもあり、小さな越境の企てであっても一瞬そこに世界が生き生きと現れる。
世一緒というスペースの面白さは、当番たちをぬきに語れない。世一緒が成り立っているのは、彼らが当番としているからだ。彼らは地域で働きたいという気持を強く持っているが、障害や病気、家族状況、経済状況などが重なって、なかなか実現できない。制度上では、そうした人々の利用する場として、就労系福祉サービスがあり、部分的に利用した経験者もいるが、そこからも切り捨てられたり、街の日常から切り離された生活になってしまうことから、利用しようという気になれない。
精神科病院などのデイケアや障害福祉センターのプログラムに週1、2回通う人はいる。重度障害者の介助に週数回入っている人もいる。図書館やビデオレンタル、書店などを見て回る週間スケジュールを、自前で組んでいる人もいる。親やきょうだいが障害または病気で、介護や看病を担っている人もいる。自分自身が重度障害者で、介助をやりくりして生活している人もいる。
仕事をしていない、かといって福祉施設にも通っていない、そうだからといって、必ずしもひまではなく、各自の地域生活のプログラムがある。たぶん、彼らだけでなく、世のニートとかひきこもりとかいわれる人々も、一人一人が自前のプログラムをもっていて、ひまではない。外からは何もしていないように見えても。
そのプログラムの中に、世一緒の日替わり当番が入っていたり、グループワークが時々挿入されたりするのだ。世一緒は、当番や他の障害者スタッフたちが地域に出て行ったり、家庭で親を介護している暮しの情報の交差点でもある。
今回、世一緒を小さなイベントスペースにしてみたことによって、そんなことを改めて考えた。
ここ世一緒の当番は、主に越谷市から運営を受託している障害者就労支援センターの登録者の就労準備実習の一環で、毎日人が替わる。鍵の開け閉めから来客対応まで担っているが、来客の多くはなじみの登録者や支援者が多く、なれ合い的になりやすい。だが、そうなると初めての人々は入りにくい雰囲気になる。
そんなジレンマをこえ、いろんな人々が出会い、関係を編み直す面白さを実感するために、この企画を立てた。
世一緒の表半分を画廊、カフェ、イベントスペースに変え、その日の当番はホールスタッフとなり、午後のトークショーの司会となる。
いつもは居眠りが多い初日の当番Nくんもネクタイを締めると、さまになっていた。
そう感じる周りの視線が、本人のモチベーションに。
初日の月曜午後のゲストは、ワーカーズコープの小野宏さん。
働く人々自身が仕事の経営もみんなで担ってゆく同団体の理念や、環境との共存を図るエコストーブの紹介をしてもらった。
二日目火曜のゲストは、ハウスクリーニングきくちのお二人。30数年前、共同保育の保育者だった菊地一範さんが、障害の有無に関わらず地域で共に育ち学ぼうという親子の会で、就学前の栗村孝司さんと出会ってからのつきあい。
上の写真は、前の週の土曜日の清掃現場で。ポリッシャーで床を洗う栗村さん。
三日目水曜のゲストは、埼玉トヨペット㈱本社ショールームで障害者、子ども、高齢者等を含む共生の街づくり活動の事務局を務める社会貢献課の轟和宏さん。
同課の日常も障害のある社員とのすったもんだを積み重ねている。
四日目木曜のゲストは、地元越谷市で幅広い活動をしているNPO法人ファミリーリンク越谷の出村常子さん、三田寺さん、小林さん。
三人は保育所、学校給食等で働き子ども達と関わったが、子育ては大人の自分育て、地域育てでもあると実感。上の写真は小林さん。
今日は出村さんによる参加者全員とのQ&Aや、三田寺さんによるマジックをまじえて、出会いを楽しんだ。
最終日金曜のゲストは、壁に飾られたPC画の作者で、三回の脳卒中を経て片麻痺・車イス生活の坂田和美さん。
マヒを逆手に取ったPC画もさることながら、言語障害を武器にした小噺が冴える。
特に𠮷;幾三の「と・も・子」の紙芝居版は、本家を凌駕する独自の世界観を感じさせた。
展示されていた絵は、世一緒と私の生活の場である谷中耳鼻科ですべて購入した。イベントは終了したが、画廊喫茶にしたスペースは、このまま区切って街につながる空間としたい。全体が部活の雰囲気だった世一緒をやや変形させ、流れゆく領域と淀みの領域を併せ持つ場としたい。
この1週間で確認したのは、人が出会えばそれだけで互いが変り、街が面白くなりうること。無理につめこんでも10数人しか入れない空間でゲストトークを開催したのだが、公共の場で数十人でやる時にはない、せめぎあう芸が成立した。受け手が時には話し手に変り、ごちゃごちゃした味わいが生じる。
いま人々が分け隔てられゆく時代に、こんな風に漏電の火花が乱れ生じる状況を、あちこちで共有してゆきたい。たしかに世界はバラバラなカケラになっていて、みんなが袋小路に入り込み、閉塞状況は極まっている。しかし、細かいカケラのひとつひとつが世界地図のネガでもあり、小さな越境の企てであっても一瞬そこに世界が生き生きと現れる。
世一緒というスペースの面白さは、当番たちをぬきに語れない。世一緒が成り立っているのは、彼らが当番としているからだ。彼らは地域で働きたいという気持を強く持っているが、障害や病気、家族状況、経済状況などが重なって、なかなか実現できない。制度上では、そうした人々の利用する場として、就労系福祉サービスがあり、部分的に利用した経験者もいるが、そこからも切り捨てられたり、街の日常から切り離された生活になってしまうことから、利用しようという気になれない。
精神科病院などのデイケアや障害福祉センターのプログラムに週1、2回通う人はいる。重度障害者の介助に週数回入っている人もいる。図書館やビデオレンタル、書店などを見て回る週間スケジュールを、自前で組んでいる人もいる。親やきょうだいが障害または病気で、介護や看病を担っている人もいる。自分自身が重度障害者で、介助をやりくりして生活している人もいる。
仕事をしていない、かといって福祉施設にも通っていない、そうだからといって、必ずしもひまではなく、各自の地域生活のプログラムがある。たぶん、彼らだけでなく、世のニートとかひきこもりとかいわれる人々も、一人一人が自前のプログラムをもっていて、ひまではない。外からは何もしていないように見えても。
そのプログラムの中に、世一緒の日替わり当番が入っていたり、グループワークが時々挿入されたりするのだ。世一緒は、当番や他の障害者スタッフたちが地域に出て行ったり、家庭で親を介護している暮しの情報の交差点でもある。
今回、世一緒を小さなイベントスペースにしてみたことによって、そんなことを改めて考えた。
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