闇から街へ―あれから20年 インクルーシブって何だ〈地域交流もちつき大会@べしみ〉
9日(土)くらしセンターべしみで開かれた地域交流もちつき大会へ。
20年前にべしみが開所した時、この恩間新田の村の人々が協力してくれて、もちをつき式典をやって祝った。その5年前に分家という形で建てた生活ホームとこのべしみ及び2階の生活ホームは、2軒の農家の奥の闇で重度障害者と家族が壮絶にせめぎあいながら、外目にはひっそりと生きてきた数十年への大きな区切りだった。闇から這い出てきた障害者達は、この村だけでなく全国さらには世界と交流しながら時代を切り拓き始めたのだった。
今日も同じ風景が繰り広げられているが、既に恩間新田出身の3人の障害者達はこの世を去り、彼女たちと共にからだをはって街を変えた人々も少なくなった。いっぽう、この村から町へと播かれた種子は、不毛の地域に芽を出し、縁から縁へと蔓を伸ばして、孤立し分け隔てられているさまざまな障害のある人ない人を、今年ももちつき大会へ誘ってきた。
障害のある子もない子も地域で共に学ぼうという活動を継続してきたこともあり、さまざまな障害者とともにその家族や職員ではない障害のない人々もいることが、この場の特徴。家族で来ても、現場では各々別行動。その他に、家庭や地域の縁が断たれよるべなき身となり、2市の生活支援センターや職場参加ビューロー世一緒のように、相談支援の窓口にたどり着いた人たちがいる。さまざまな立場の人々がごちゃごちゃといることで、お互いが少しほぐれてくる。
もちつきのリーダー格は、かって私が町内会の副会長の番が回ってきて成り行きで御神輿を生れてはじめて担いだ時に、みこしの指導をしてくれた棟梁とその義兄弟。二人は浅草出身で、棟梁の娘さんは障害があり、以来つきあいを重ねることになった。
もう一人はラジオの子育て電話相談で、その回答者からわらじの会を紹介されたことが縁で家族ぐるみずっと関わり続けている一家の父。
受付にはべしみ2階の生活ホーム入居者のリーダー格になったMさんと生活ホームを出て団地暮らしがもうかなり長くなったFくん。
私はFくんが17歳の時に一緒にスウェーデンへ行き、彼と似た重度障害者のトミー(写真)が結婚して別荘でモーターボートを一人で操縦しているのを見て、Fくんが自分もと心に決めたことを話題にした。結婚はできてないけどねと言うと、Fくんはガハハと笑う。
宴もたけなわとなり、教職に必要な介護等体験でべしみに来ている学生Aさんが、前庭でエイサーを踊る。生活ホーム入居者のAくんがつられて踊る。
最近大道芸人として評判を挙げているKくんが、獅子舞でコラボする。Kくんは九州出身で昔わらじの会に1年間ボランティアとして滞在した後、そのまま埼玉に住み着いた。
そうそう!厨房をのぞいたら、そこにもなんと多彩な顔ぶれがひしめいていたことか。連れ合いはどうしたのかと訊かれた。正月休みが長かったからか、土曜は午前中で終る診療が2時まで延びていた。
同床異夢ということばが好きだ。床を別にしておきながら同じイリュージョンの住人にしてしまう仕組みは薄気味悪い。そんなエセアートはいらない。考えも風習も嗜好もことばも異なる者同士が、すれちがいながら一緒にいることを重ねたい。ロートレアモンが語る解剖台の上でのミシンとこうもりがさの 不意の出会いのように。このもちつき大会のように。
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