ひとびとの精神史の水系から-栗原彬さんをお招きして 4
(2)橋本克己さんから学ぶことー自己と地域の編み直し
それから橋本克己さんから学んだこと。橋本克己さんがいると、いいか悪いかわからないんですが、はてなマークがつきました。絵日記で見ましたが、克己さんが車いすで一人野にたたずむ事。野っぱらに一人でじっといる。あんなに寂しがり屋の彼がなぜ。彼に聞いてもあまりはかばかしい答えは出てこない。これは私たちが死に物狂いで考えなくてはなりません。
これは彼は音が聞こえないから風の音なんか聞こえないはずなんですが、吹いてきて皮膚に当たることは感じ取ることができます。日差しの温かさとか、草むらの匂いとかが取り巻いているのが分かります。自然とか他の命、人間の集団を離れて一人でいるので、そんな中で他の命や自然とのつながりを感じているのではないでしょうか。それは独りではないという感覚。人間の集団の中にいるときの方が逆に一人だと感じるかもしれない。それでこういうひとりでいるときに命のつながりを感じているかもしれないですね。
そうすると、自分が世間から、あるいは人間の集団からお仕着せになっている役割、アイデンティティがある。それは車いすに乗っている障害者という、そういうものから離脱、離れることができる。離れるために一人になる。しかも自然、他の命があふれる中に身を置く必要がある。そこで初めて自己というものが自分に訪れてくる。そういう愉悦というか楽しみ、喜びを感じていたのかもしれません。一人淋しくという事と全く逆のベクトル、それが一人野にたたずむ克己さんから学ぶことです。
それからもう一つ、よく知られた話ですが、車いすで家を出て幹線道路、当然大渋滞が生じる。その時に、後ろから来る車は当然のこと、怒声、時にはけりが入れられる。惨憺たる状況になるわわけですが、これはいずれ車いすが幹線道路に行っているとなるとタクシーが迂回していきましょうという話になったり、のろのろの進行速度に合わせて走らせたり、人々が事態を受け入れるようになる。これは山下さんの言葉を借りると人の迷惑、むしろ迷惑をかけることが地域を耕す。いろんな場面について言えます。
迷惑をかける、単にかけるだけでは終わらない。それが逆に地域、さっきの地域の重層性で言えば根っこの部分が現れてくる。まさに地域を地域にする、協働性、つながり、そういうものが見えてくると思います。こういう、克己さんから自己と地域の編み直し、これは迷惑という事をある意味では逆手に取った事。わらじの会そのものが大体差別や対立、そういうものをむしろ逆手にとってそこに共生を編みだしてきます。まさに克己さんが身振りで表現していると言えます。
(3)緒方さんから「共にいっしょに」を学ぶー共生ということ
同じようなことが水俣でも起こっていて、緒方正人さんから共に、一緒にという事を学びました。何度か、彼から話を聞いたことがあるのですが、水俣病を患っていて誇りに思うことが3つあるといいます。水俣病の原因物質が特定されても、チッソの垂れ流した有機水銀が海中に入り魚がその毒を喰らい、その魚を人間が食べる。水俣病が食物連鎖で起こってくるが、それが分かってもなお魚を食べ続けた。この魚は毒を含んでいると知っていてもなおかつ毒魚を食べた。これははてなマークしかないですね。だから患者が出るんだとチッソに有利に使われるかもしれないことを平気で言っているんです。
私が高校生など数名で江郷下美一さんという患者さんを訪ねた時に同じことを言っていました。毒と分かっていてもなおかつ魚を食べ続ける。漁師はみんなやっていると。高校生は泣きながら美一さんに抗議していました。毒と分かっていて何で食べるのか、奥さんも子供も食べる。病気になってしまうじゃないか、やめてほしいと抗議するのです。わたしもわかりません。ずいぶん考えてきました。皆さんはどう考えますか。
ある場所で、こういう話をしたら立花隆という評論家がいて、彼は正人氏の話を聞いて私の解釈は間違っていると言いました。それは、漁民が毒の魚を食らっているというのに漁民が無知だったからだと言うんです。これは、ムカッと来る人でした。立花さんという人はこういう人なんだと。あと、社会学者で定番の言い方、毒魚を貪り食う、貧しい漁民たち。貧しいから食べるんだと。
でもこれは『苦海浄土』を読むと中で社会学者が揶揄されて取り上げられています。「毒魚を食う貧しい漁民たち」、これは漁民たちの暮らしがいかに豊かかを知らない。
現金収入は無くても、お客が来るとやかんの水を火にかけてちょっと魚を獲ってくると言って浜辺に降りていって、蠣やタコを取ってくる。庭先に野菜を作る。そうすると自給自足、唯一必要なのは米でお金や物々交換で買う。自給自足の自然と一体化している豊かな生活。そこに水俣病が起こり働くことが出来なくなって貧しさが訪れる。貧しいから魚を食うのではなく、海の恵みを三度三度刺身にして食べていた、豊かな生活があったのです。だから、そこに自然との共生の契約があると思います。
海に漁に出るときに恵比寿信仰があります、だからお酒をまいてお清めをして祈りをして海に出ていきます。余計な命は頂かない、共生と言っても食べるので他の命を殺すということがあるけれど、不必要な殺しはしない、稚魚はとらない、巻き網漁、根こそぎ取る漁はやらない。そういう契約、ほとんど自然契約、そういうルールで生きています。その限り、恵みをいただいている海が人間のせいで汚染されている。汚染されたからと言って縁切りだというわけにいかない。死んでもいいから食べ続ける、自然との共苦共生、共生という言葉でいうと、実感から離れていく気がしますが、自然と一緒に生きて死んでいく。それが誇りに思うことの最初です。
2番目、胎児性水俣病の子が生まれてもなお子を産み育てた。これは障害を持って生まれても差別をしない、障害を含めて丸ごとその子を受け止める。他者との共生と言えると思います。
それから3番目、家族や親族が実際殺された、水俣病で。それでもチッソの人を殺さなかった。これはかなり重要な問題を含んでいます。本当だったらチッソの人を殺したい、それぐらいの思いを持っているけれど、殺さなかった。究極の他者、敵との共生まで言っています。だから、チッソと交渉するときに相手の人間性を救い出そうとします。患者さんがひたすら言うのは、人間として謝れと。それに対しチッソはお金をいくら差し上げたらいいのか、ということばかりいう。この思い、論理のすれ違いは甚だしいです。
その中で患者さんたちは自分は人間として救われたい、その時に敵である相手も人間として救われてほしい。常にそうです。自主交渉などいろんな言葉がある。結局はお金の問題に行かざる側面はありますが、過程が重要で相手の人間性を救い出す。それでなければ自分たちも救われない。そういう考え方。これがみんな一緒に、ある意味究極の形、自然と他者、究極の他者と、みんなともに一緒にと。
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