私が出会った死生の日常 2020.5.20 すいごごカフェ 澤則雄さんトーク 後編

前編→https://room-yellow.seesaa.net/article/202006article_1.html
質疑応答の続き
澤:3年前の僕みたいな親父をつかまえたとして、障害者の問題にどう考えた
らいいのかって訊かれたら?
山下:澤さんは映画会で60何ヵ所くらい行かれたんでしょ?今話されたのはその
ごく一部ですよね。そこで語られていることは、入所施設、養護学校に分
けられちゃうってこと。完全に違う世界にいた者同士が出会って衝撃を受
けるということだったと思うけど、私は逆に語られなかったごく日常のす
ったもんだみたいなことが、さらにこの次には聞きたいなと。そこに結局
、日常の付き合いの中で差別的だとかじゃないとかを超えて、言いたいこ
とを言い合ったりとかがある。これは差別だから言っちゃいけないとか、
よくまだ知らないから黙っていようとか、そういうのだと一緒に働くとか
、暮らすことはできないと思う。養護学校とか病院だとかが固定化される
ことで、お互いなんかわからない世界になってきたと。だけど、だからこ
そ一緒にごちゃごちゃ付き合って生きていかないとって、ここの活動もそ
うだし、澤さんの映画会に集まった人もそうだと思う。
澤:僕なんかもどっちかというと問題を形にする。部落問題とか障害者差別と
か形にしやすいがためにそっちにいっちゃってる。そういうことじゃない
日常で社会とどう融合していくかが大事だって、そういう話わかります。
樋上:澤さんの医療従事者が差別にあっているという話があったけど、医療従事
者に感謝をしようよっていう方がすごい気持ち悪いなって。僕なんかは割
と昔から医者にありがとうってずっと言ってきたもんで、何を今更ってい
うのが強くて。差別する反対はありがとう・感謝というギャップがね、す
ごい気持ちが悪いなっていうのが樋上の今の感想かな。やたらありがとう
ありがとうっていう。感謝するっていうのは当然なんだけど、やたらとそ
れを強制する方が気持ち悪い。
黒田:自分達は差別されていると思うと、その3倍も4倍もそう思っちゃう。一
番悪いのは、障害者だけでこうやって話しちゃうこと。だからもっと健常
者がいるところで話さないと。健常者のところに行かないで差別差別って
言っててもだめ。差別もあるかもしれないけど、自分達はこういうことが
できるんだって一緒に入っていくと、徐々に徐々になくなっていく。こん
なところでやっていても何やってるんだろうなとしか思わない。20年30年
やっていても話が進まない。
吉原:差別がどうのこうのじゃないけど、私は樋上君との関わりもそうだけど、
社会と向き合ってきたなって男の人が知り合いにいて。職員になった頃に
、8人を1人2人で見なくちゃいけない状況の中で、重度の方が多いので
自分の食事が4時くらいになっちゃう時があった。だから、とある障害者
の人に外に行って食べてきてほしいって頼んだことがある。周りから見た
らあなたはひどいことを頼むって言われるくらいの言語障害、小児麻痺で
足で車イスを動かす人、藤崎稔君なんだけど。電車に乗るにもその頃には
介護者をつけてくださいって言われてた頃、駅員を踏んづけて電車に乗ろ
うとしたりした人。それで、お弁当を買うのにも苦労したと思うんだけど
、買うまでに1カ月間かかったって。それをやってのけて。市役所では知
っている市職の人にどーんとぶつかっていって、もしかしてお弁当かもし
れないと気付かせて、食べさせてもらったり。そういう状況がないと、健
常者と障害者とか関係なく暮らすってやっていけないんだろうなと思える
エピソードでした。

黒田:これから一般の人と関わりを持っていったらいいと思いますか。自分はい
ろんな人を知ってるけど、見た目で足が悪いとかそういう人が目立ってい
っちゃって。
澤:確かにその通り。58回の上映会の中で8割以上は福祉関係者からの依頼だ
った。一般の高校生も含めた学校でこの問題を考える会を作りたかったん
だけど、一般の人の半分くらいは地域の福祉関係者だったりする。この問
題をどういうふうに進めていくのかは大きな問題。
松丸:コロナの話しで申し訳ないけど、コロナっていうのは
グローバリズムに乗っていろんなところに回ってきたと思ってるんだけど
、実際一般の人は当事者として感じてない。我々の時代の80~60前くらい
の人達が、経済を一挙にレベルアップして、それで気候は温暖化して。ブ
ラジルが今オーバーシュートしてるけど、貧困な、弱い人にどんどん影響
を及ぼしている。ウイルスの進化はすごくて、うつっていくうちにどんど
ん強くなって、中国とか韓国にまた戻って来て…と順繰りにきて、動物も
含めると2、3年にいっぺん戻ってくるんだけど。こういう話をしても、
みんな当事者意識が全くないので、何言ってるの?ってとられちゃって。
みんな意識低いなと思って。自分の時代にこういうことをやってしまった
意識がない人達がほとんどなんで、子供、孫に負の遺産が残らないといい
なと思う。
山崎:私は〇〇運動とかに参加したことなく、たまたま私の
娘に障害があっただけで、ある意味では無関心。ただ孤立して生きるわけ
にはいかないので、この子がどう社会と関わっていけるのか、この子とど
うやって生きていくか、そのことが始まり。療育的な事も必要だったけど
、小さい頃もかわいかった。1990年代に入る頃、やっぱり障害を持つ子供
を殺すという事件があって、障害者運動をしている人達が「私たちは生き
ていちゃいけないのか」というコメントが新聞に載って、私にとっては衝
撃だった。親としてはある意味母親として健康に生んであげられなかった
という負い目が心のどっかにあるけど、この子がこういう宿命と運命を持
って生まれたということ。ありのままを生きていけばいいんだなと。困る
のは親であって、この子が困るわけじゃない。この子が歩けなければそれ
でも、喋れなければそれでもいいじゃないか。社会との関わりが大事。娘
が小さい頃通った市立あけぼの学園のことは、一緒にいたお母さん達から
もいろいろ批判はあったけど、価値観が変わった1つのきっかけだった。
親が話しかけても何も返ってこないような寝たきりの子が多くて、そうい
う子の親たちからは、あやせば笑い返すうちの子がうらやましいと言われ
た。本当に重度な子もいて、5日前まで笑っていた子が次の時には亡くな
っているみたいなことも何度か経験した。
運動じゃなくて、障害のある人と1人でもいいから付き合ってください
よと思う。仲良くなれない人もいるかもしれないけど、障害があるないに
関わらず、付き合いが深まれば。Eテレで知的障害の人がシェアハウスで
学生と一緒に暮らすという番組をやっていて。ヘルパーが入るんだけど、
初めて学生が一緒にお風呂とか入ってて、楽しかったですとコメントを寄
せていた。そういうつきあいができてきたらいいなと思う。障害者と健常
者の関係じゃなくて、人と人との関係。人間は生命体なんだから、どこか
で歪みが出てくる。大事にされるべきだなと。うまく言えないけど、親の
立場から言えばそういうこと。

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