新聞を破ることを職業に-雇用・労働から社会を問い続ける「障害社会科学」の円環運動 堀利和氏の新著に寄せて
特定非営利活動法人共同連顧問で季刊「福祉労働」編集長の堀利和氏から新著「障害社会科学の視座」をいただいた。感謝とともに、私なりの感想と若干の紹介を記しておきたい。
まず感想から述べれば、「還暦の今」と題した詩の一節・・・
「決着ではなく すべて 悟れぬままでいい 悟らないままでいいのだ」がよかった。それは、若き日に書いた詩「新聞を破ろうー私が出会った少年、H君へ」のつぎのような末尾からずっとつながっているのだと感じた。
「少年よ きみが好きな 新聞を破ることは 職業ではない けれども少年よ それを職業に変えることはできる! もし彼らが『超人』や『賢者』であるなら だから少年よ それまで 彼らが成長するまで 新聞を破いていよう 」
次に若干の紹介。著者はこの本で、1973年以来の「障害者問題に対する私の視座は・・・障害社会科学であり、社会科学としての障害経済社会学である」と述べ、障害学とは一線を画している。
かって1975年に彼らが結成した視覚障害者労働問題協議会(視労協)は、1976年以来毎年都に専門職としての特別枠「福祉指導職C」として視覚障害者を1人ずつ採用させ、品川区にも2人の職員を採用させた。
その視労協は規約に「障害者の労働者性の確立」を明記した。単なる「雇用保障、就労運動」を意味するものではなく、「労働問題」だったからだ。しかし、雇用する側の「定数1」の「1人」とはいうまでもなく「健常者」を想定している。盲人ではない。
これは私たちがいま「障害者活躍推進計画」をめぐって、県や市と話し合っている中で、自治体が従来の自力通勤や介助者なし職務遂行といった受験上の欠格条項をなくしたにもかかわらず、採用については地方公務員法の「能力の実証」を盾にとって、重度や知的の障害者が合格しないよう受験者を多数集めて高い倍率にしていることを見ても変わってない。
それはまた、制度としてあるだけでなく経済が回って社会が営まれる流れの中で、人々のごく自然な意識として刷り込まれているから根が深い。だが、それに従って100人のうちの100人目を排除すると、次は残った99人のうちの99人目を排除することになり、だんだんと差別が構造化してゆくと著者は述べる。ちなみに、同じことを、横塚晃一が「母よ!殺すな」で、生家での養鶏の経験を踏まえて書いている。いじめられている鶏を別に移すと、次は新たないじめの対象ができると。
著者は2013年の「第4回アジア障害者就労国際交流大会」で台湾へ行き、「勝利財団」が庇護工場、社会的企業として経営しているファミリーマートを訪れた時の衝撃を書いている。
「私が驚いたのは、店に入るとすぐ女の人が大きな声で話しかけてきた。中国語なので何を言っているかわからなかったが、それは接客挨拶であるという。説明によると、中度の知的障害をもつ女性であった。それがどれほど売り上げに貢献するかよくわからないが、勝利財団ではそうしているのである。
経済は何のために?経済のための人間なのか、それとも人間のための経済なのか。」
2018年に、私が事務局長を務めるNPO法人障害者の職場参加をすすめる会定期総会記念シンポジウムで、堀さんに「働き方改革」について話していただいたことを思い出す。以下はその時のレポートの一部(上の写真はそのシンポで語る堀さん)・・・・
共同連代表・堀利和さん。国の「働き方改革」は「働く」側でなく「働かせる」側の改革だとして、次のように解説する。
身近な障害福祉サービスの分野では、この春から「加算主義」が強められた結果、就労移行支援では「就労しにくい人」の受け入れを避け、就労A型では「働きづらい人」を排除する傾向が助長されるだろう。
いっぽう、長年共に働くための拠点として運営されてきた場は就労B型が多いが、内部では競争を廃して利用者も職員も対等・平等に働くための努力・工夫を重ねてきても、その生産品を売るために外部に出たときには過酷な市場競争に対する販売戦略が問われる。内での非競争と外での競争のバランスをどう取って行くのかが課題だ。
共同連は元来、障害者と健常者が共に働く事業所づくりをしてきたが、イタリア、韓国に学び、ホームレス、依存症、主婦、高齢者を含む働きづらい人をまじえた社会的事業所をめざすようになった。非正規で不安定な働き方が蔓延し、過労死や過労自殺が放置された中での「働き方改革」でなく、そこから排除された人々自らがもうひとつの「働き方」の価値を示していく時だ。
いっぽうで、著者は、「舩後、木村両参議院議員の国会における合理的配慮」についてふれ、現行の「雇用納付金を原資とする民間対象の『障害者介助等助成金』(については)根本かつ大幅な改革、または公務員のための『介助制度』を新たに設けるなどの施策が必要となろう。ともかく2人の議員の『重度訪問介護』問題を契機に、今後抜本的な見直しが求められる。いわば『支援付き雇用』といったところであろうか。」と書く。
「新聞を破ることを職業に変える」可能性を現実化する社会的企業、社会的事業所をすすめながら、そこを支点として、公務労働さらには民間労働の現状、雇用の枠組みを問い、そこからまた社会的企業、社会的事業所を照らし返す。
「障害社会科学の視座」は、そんな壮大な円環運動なのだろうか。
堀利和「障害社会科学の視座」 社会評論社 2020年9月
(末尾の画像は、著者が1989年に参議院議員に当選し、社会労働委員会で初めての質問に立った時の新聞記事)
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