24年前もらったビラ 2021.8.11 すいごごカフェ 向井みどりさん(NPOかがし座職員)

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1枚のビラから始まった、わらじの人達との関わり

 1978年生まれ。小学2年まで松原団地で小学2年まで過ごして、それからは草加市内で育った。福祉の専門学校に行き始めた頃、友達が「越谷の駅でビラをもらったけどこれいる?」と私に言ってきて。書いてあった内容は忘れたんだけど、それがわらじのビラだった。それで連絡したんだけど、今考えればよくそのビラだけでいったなと自分で感心する。電話して数日後にくらしセンターべしみで糸賀美賀子さんから説明を受けて、それから新坂幸子さん、新坂きみ子さん、友野由紀恵さん、野島久美子さん、橋爪静佳さんの介助をやり始めた。

 介助ではオエヴィスに一番行っていて、当時のオエヴィスには幸子さんと完さんとしーちゃんと新井豊さんが住んでた。私はほとんど新坂幸子さんの部屋に泊まってた記憶がある。幸子さんは光子さんというお姉さんと一緒にオエヴィスに住んでいた方で、姉妹ともに脊髄小脳変性症だった方。夏合宿にはお金がないから行けないと言ったらさっこさんが「貸すから行こう」と言ってくれて行ったこともあるくらい仲良くさせてもらった。泊まりの時は、隣に布団を敷いて寝るんだけど、さっこさんがなぜかすごく怖い話をする時があって、「手をつないでいい?」って言って手をつないで寝たことも。

 てんかんと小児麻痺だった静佳さんも亡くなられたけど、よく介助してた。朝食に必ず卵とバナナ1本と黒い甘いエキスと牛乳。それを混ぜたものをしーちゃんは朝一気飲みするんだけど、おいしそうに飲んでるので一口飲んでみたんだけどウッとなって、忘れられない味だった。お風呂に一緒に入ってると、てんかんで倒れちゃってブクブクブクとなってて「わー死んじゃう、ごめんごめん」なんてことも。
入浴介助では、自分が洋服を着てて相手は裸になってるっていうのがなんか嫌で、私もみんなと一緒に入ってた。介助というより一緒に入りたいと思って。

 当時由紀恵さんがSMAPのコンサートにしょっちゅう行っていたんだけど、一緒に行く話になった時に「外出介助は~円だね」って言われて、友野さんに介助者その1として見られたのがショックだったことも覚えてる。私は知り合いとして一緒に行きたいと思ったから。

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施設には違和感を感じて

 そもそも祖父が戦争で足を失くしていて、障害者であるおじいちゃんを間近で見ていたからか福祉の専門学校に行ったんだけど、実習で老人ホームに行った時に評価がCで、私は全くだめだったらしい。知的障害を持った人の施設にも住み込みで2週間くらいの実習に行ったけど、私はその場にずっといれなくて。逃げ出しちゃう人がいて探しに行くんだけど、私はもっと出てっちゃえばいいと思っていた方で。わらじを知っていたからかな。身体拘束や、男性の入浴介助を女性がしていたことにも違和感があったし。それで、そこではちょっと働けないというか、いれないなと思って。そういうのがたぶん態度に現れてたんだと思う。


パン屋の店長から、わらじに戻ってきました

 そこで私は、フランスパン、ミニクロワッサンが有名な創業116年のドンクというパン屋に就職した。販売職から始めて5~6年で店長になってからは、柏そごう、新宿三越、大宮そごう、自由が丘、二子多摩川、八王子など、結構異動しながらも20年間勤めた。パン屋は大変な仕事で、朝早いし、パンの生地を回すミキサーやバターを織り込むパイローラーなど大型の機械を使うのでとても危ない。でも、人が手を加えることですごくおいしいパンができあがる。でも、よかったことと言えば記念日にパンを予約したお客様からお礼のメールが入ったくらいで、パンに入っていたくるみで歯が欠けたから歯の弁償しろとか、ほとんどがクレーム対応。それに、最後に通勤していた八王子店も1時間半~2時間もかけて通っていたので、結構疲れてしまって40歳の時辞めた。それで、もう食品を扱いたくなかったし、ドンクに勤めてからも野島さんちには何度か泊まりに行ったりしていて、わらじにはいつか本格的に関わりたいなとは思ってたので、今わらじに戻ってきた。わら細工とパタパタを2つやるっていうのはやっぱり戸惑うところがあって、最初は何をやればいいかわからなくて弘一さんに相談したこともあったけど、今はなんとなくこれでいいかなってやってます。

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