八木井流自立生活とは 2021.9.1 すいごごカフェ 八木井雄一さん

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住み慣れた自宅での一人暮らしを選択して

 1973(昭和48)年、埼玉県川口市で生まれる。一人っ子。1975年、東京・武蔵村山の療育園に入院する。この入院生活は嫌な思い出しか残ってないから、これが病院(施設)に対する嫌悪感の始まりだった。1980年、東京・筑波大学付属桐ヶ丘養護学校に入学。実は越谷養護に行くつもりだったんだけど、スクールバスが線路の反対側までしか来ないというので諦めざるをえなかったし、私の小学校入学は80年(養護学校義務化の翌年)だったので、今思えば仕方がなかったのかな。1993年、一浪して法政大学二部文学部日本文学科に入学。法政ローバースというボーイスカウトのサークルに入ったが、友達の作り方がわからず、なかなかなじめなかった。卒業した年の1997年9月からは週1回市内のデイサービスに通い、将棋や陶芸を楽しんだ。

 2002年は父が動脈瘤で入院して、私はその間ショートステイ「しらゆり」に入っていたんだけど、そこの職員さんに「デイケアねこのて」を紹介してもらい、通うことになった。武蔵村山での苦い経験があったから、「地域でともに」というねこのてのモットーが心に響いたので。

 2014年12月末、ずっと一緒に暮らしていた父親が入院した。緊急にヘルパーの時間数を増やしたり、正月休みは「かしの木ケアセンター」のショートステイを利用したりしていたが、そこから帰ってきて間もない2015年1月6日に父親が亡くなった。そこでどうするか考えたが、施設ではなく長年住み慣れた川口での地域生活を選んだ。でも、私が自宅で一人暮らしをするにはどうしてもヘルパーの手が必要になってくる。今も時間数を増やしてもらいながら、なんとか毎朝毎晩訪問してもらっている。


自宅で日々悩みつつ

 自宅は昔ながらのバリアフルな家で、部屋の中はいつも四つん這いで移動している。子供の時からずっとこの生活スタイルなので、這う体力が衰えたらどうなるか、これからが心配ではある。

 月・水・金は買い物と調理の日。ヘルパーと話し合いながら、その日の献立を決めていく。月曜日はヘルパーに買い物を頼んでいるが、水曜と金曜は移動支援でヘルパーを同行してスーパーに行っている。買い物の日は多く作ってもらって、次の日も同じものを食べるのだが、献立がワンパターンになってしまうのが悩み。(朝…納豆、焼き魚、残り物のおかず 昼の弁当…卵焼き、ウインナー)。食事する時にはエプロンを着けて、はじめは自分で食べる。おかずを取りづらい時や、最後すくえない時はへルパーに介助してもらう。やはりそれでも、食事には1時間以上かかる。

 入浴は月・水・金と週3回で、風呂場の手すりにつかまりながら浴槽をまたいで湯舟にも入っている。自分は2階へは上がれないので、洗濯はヘルパーさんにお願いして2階のテラスに干してもらっている。とりあえず使うものはリビングに置いてあるかごに入れてもらったり、衣替えのときも自分が指示を出して入れ替えてもらう。

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「地域でともに」は難しいけど

 外の生活としては、週5回(月~金)、生活介護事業所「ねこのて」に通所していて、2014年頃からは主に埼玉県障害者団体定期刊行物協会の事務局として働いている。また、“ねこや”(ねこのてが運営している、野菜やお菓子などを販売しているお店)の店員として、週1回移動販売に行っている。あとは、2016年より埼玉障害者自立生活協会の理事、2019年より埼玉県障害者施策推進協議会の委員に就任している。

 休日は、毎月第3日曜は将棋講座、週1回火曜日にはプール、あとは障害者団体の活動などに参加している。その他には通院等介助、全身性障害者介助人派遣事業、移動支援、ショートステイなど、必要なサービスを活用することで、地域での一人暮らしを継続していくことができている。

 今悩んでいることは、一人暮らしになって7年弱になるけれど、料理の献立や生活様式がいまだに父の影響を受けて自分の色になっていないこと。それに、こう毎朝毎晩ヘルパーばかりと付き合ってると、あたかも自宅が「八木井専用の施設」になってしまうし、なかなか地域の中で暮らしている実感がわかない。皆さんはどうしているのか?「地域でともに」をうたっている社団の理事がこういう状態では恥ずかしく、穴があったら入りたい。

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