自立の伴走者達の歴史 2021.12.1 すいごごカフェ 辻彩子さん(べしみ職員)【前編】

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がぜん興味が沸いた障害者たちの登場

 私は高校まで新潟で暮らしていて、中学、高校の学校行事だとか、部活ではボランティアとか障害者に触れる活動をしていたので、漠然と福祉にまつわる仕事に就けるかなと思って探した学校が共栄学園短期大学だった。卒業と同時に資格が取れる、当時としては数少ない介護福祉士養成校で、私は94年に入学した。今日は、共栄短期大学の福祉学専攻の学生達が街に出る障害者達の介助者としてコアに関わっていった時の話を。

 学校で最初のオリエンテーション後に、車椅子の人やら10人くらいがぞろぞろと出てきて説明を始めた。
 「介助で関わって下さい」という内容だったんだけど、リクライニングに座っている人は何言ってるんだろうなんて思いながら聞いていたら、きみ子さんの隣に立ってた先輩が「私の名前は新坂きみ子です」ってスラスラ通訳していて。それにすごく衝撃を受けて、がぜん興味が湧いて。それでそのすぐ後に友達を誘って、当時谷中耳鼻科の駐車場にあったプレハブに行ってみた。

”地域で暮らす”障害のある人と付き合えた

 学校では、その障害者団体、わらじの会の一日実習に行った。40人くらいの学生が何グループかに分けて動くことになって、私は由紀恵ちゃんとか稔さんとかとスーパーへ買い物に行ってオエヴィスに持って帰って食べるってミッションだった。私はヨークマートに稔さんと。他のグループは往復2時間かけて巽優子さんちで弾き語りを1時間聞いたとか。それぞれがそれぞれに1日実習で感銘を受けた。私は真面目な学生だったんで、介助者がいなくて困ってるなら、勉強になるし関わらせてもらおうと、当時時給650円で介助に入ることした。うちの同期の子もみんな誰かしらの介助に入ってた。野島さんちの鍵は友達同士で回したりしてたなぁ。

 2年間で資格を取れるところだったので、すごく実習がいっぱいあって。夏休みも半分実習で、ある施設に行ったんだけど。でもそこでは職員が障害者をばかにしていたり施設の印象が悪くて。私はすでに野島さんとか地域で自分達の生活をしている人を見ていたので、すごくギャップを感じた。地域で暮らす人達と出会えたことで、ただ単に学校で学ぶよりも広く学べたんだなと思った。

 障害者と学生と先生が一緒に交流会をする機会も結構あった。それにバザーやクリスマス会、県交渉、たくさんのイベントがあったけど、そこで人が出会っていく。それに、学生の時から対行政とか他の団体の人達と何かやってるところを見せてもらう機会があったのは面白かったなと。施設実習だけじゃ経験できない体験をさせてもらった。

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これが私の生き方

 私は新潟の実家に帰るつもりで、でもここの人達と付き合いたいから会報は送ってもらおうとか考えてたくらいだったのに、なんで最終的に
ここに就職したか。卒業半年くらい前にべしみが開所して、野島さんが「月給10万円でべしみの職員はどう?」って言われたことがきっかけだけど、個人で付き合っていた障害のある人や、イベントに関わらせてもらったことで周りの人と出会えたことが、ここに就職しようと思う一歩だったと思う。

 ここ何年かで複数の人の前で話す機会があるんだけど、あるパネルディスカッションの時に「私は仕事を選んだじゃなくて生き方を選んだんだ」って言った。大げさに聞こえるけど、自分がここにいる感覚としては言い得て妙な気がしている。クリスマス会であなたにとってわらじとは?と聞かれた時には「お嫁に来た場所です」って言った。好きで一緒になったけどなかなか大変みたいな。で、それで27年居座っちゃったんだなって。

質疑応答

澤:障害のある人とどうやって付き合っていったらいいんだろうと感じたり、みんなで話したりはあった?
辻:まずは障害のある人が介助を頼んでくるから、最初はそこからの付き合いだったと思う。でもそれぞれ個人の人となりがわかってきて、障害者だから一律に付き合おうって気はないわけですよ。さっこさんだからいいとか、しずかさんとは遊びたいとか。あの人には入りたくないとか。みんなそれぞれ違うわけだから。

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後編はこちら→https://room-yellow.seesaa.net/article/202206article_2.html

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