強制不妊 告知できぬ被害者 2022.1.12 すいごごカフェ 大坂冨男さん(埼玉障害者市民ネットワーク事務局)【後編】

前編→https://room-yellow.seesaa.net/article/202206article_4.html

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問題から目を背け続けてきた多くの人達

 1992年、福祉先進国として他の国々の模範だったスウェーデンでも、1930年以降、70年に代に至るまで、強制的な不妊手術が実施されていたという事実が明らかになり、世界中が驚いた。日本でも、スウェーデンで未だにこんな法律があったのかと大騒ぎした。でも、戦後の日本でもそれ以上のことが優生保護法下で行われてきたにも関わらず、日本の各メディアは当初、日本内の問題に触れずにスウェーデンのことだけを報じたし、優生保護法のことについては世の中の人達は黙ってた。

 そのうち、1966年から72年にかけて、兵庫県では「不幸な子供の生まれない運動」が始まった。障害児の出生予防を掲げ、羊水検査費を県が負担するなど医学と行政が連携を取った、強制不妊手術をしっかりやりましょうってキャンペーン。運動は全国に広がって、これを推進するための条例を作ったり対策室が作られた。障害者団体などの抗議で次第に廃止されたけど、「障害児は不幸」との認識を社会に植え付けた。反対していた人もいたんだろうけど、あまり出てこないし、黙認か積極賛成。それじゃやまゆり園の事件の犯人を悪く言えないなって。

 1996年、優生保護法の「不良な子孫」に関した部分を削除するという形で改正されたのが「母体保護法」。安積遊歩(あさかゆうほ)さんが1994年にエジプトのカイロで開かれた国際人口開発会議に参加して、優生保護法反対の発言をしてから日本は世界各国から非難を浴びて、そしたら2年後に母体保護法に変えましょう、となった。

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質疑応答
世話してくれる人の迷惑を考えての決断が大多数

日吉:収容施設に入ってる重度身体障害者の女性の毎月の生理の処理がめんどくさいからって、この制度を使って子宮を取っちゃうってことがバンバンやられていた時代。施設に入るためには、ロボトミー手術でも不妊手術でも、どんな手術をされてもいいですよって同意書がないと入れないって時代はかなり長い間あった。そういう意味では優生保護法っていうのは遺伝どうのこうのじゃなくて、世の中をいろんなところで悪用プラス悪用でダブル悪用されたってこと。
 もう一つは、すごく悲しいなと思うんだけど、施設では1人OKしてやってしまうと、私やったんだから、あなたはなんでやらないのって風当たりが強い。閉鎖された施設では障害者が障害者を追い詰める行動が横行していた。それは私の中では忘れられない。

澤:今の話で思い出したというか、「養護学校はあかんねん」という映画の中で発言された河上千鶴子さんの友人と出会った。その人は自分の意思で子宮を取った。必ず介助者から「あなたは子供産まないんだから子宮は必要ないのよ」って言われていたそう。そうかって思って、親にも相談せずに自分で子宮摘出手術の申請したんだって。だから、旧優生保護法一時金を申請する資格がないって、その人は黙ってた。

大坂:そういう事例はいっぱいあると思う。「忘れてほしゅうない」というドキュメンタリー映画に出てきた広島の佐々木千津子さんという方も、当時家族の負担にならずに生きるには施設入所しかなく、入所の条件に生理等の介助を要しないというのがあったため放射線照射したけど、そしたらずっと後遺症で痛くてしょうがなかったと。この法律ができたことによって、遺伝とか関係なくなってる。

澤:今母体保護法になって、旧優生保護法はなくなったとされている。でも施設の親同士の会話で、「あんたんとこもう(手術)終わった?」って話を介護者が聞いたんだって。現実的に今も優生手術は行われているって聞いた時にショックだった。

樋上:障害者が消えようが減ろうが関係はなくて、優秀な人が迷惑を被るから優秀な人を保護しようってことで、何十年も続いたのかなって思う。

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