私がCILで働いた時 2022.1.19 すいごごカフェ 本多有希さん(生活支援センター苞)【前編】

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自分の人生に多大なる影響を与えてくれた成子さん

 自立生活運動とどうやって出会ったか。大学のゼミで山口成子(しげこ)さん(自立生活センターHANDS世田谷 設立者)が授業に来てくれた時に関わってみたいと思ったのがきっかけだった。HANDS世田谷の会員になり介助を始めて、大学卒業後に成子さんの専従介助に入った。成子さんは脳性麻痺の方。30歳の時に転倒して頸椎に二次障害も負ったので、私が初めて会った時も首から下は動かなかったし24時間介助の生活だった。私はまずは夜9時から朝9時までの夜勤で入ってたんだけど、褥瘡のケアや浣腸とかなんでもありで、今考えたら訪問看護がやるようなことを全部介助者がやっていた。だけど彼女はとても魅力的な人で、いろんな話をしてくれた。「障害者福祉を学ぶということで介助に入ってる人が多いけど、その人の支援をしたいって思える人に出会えたなら仕事を続ければいいけど、そうじゃないならつまんなくなるかもよ。」って話とか。「働く人も権利があっていい。時給とか有給あったらいいよね。」って介助者の仕事の捉え方も考えてくれて。すごく大好きな人だった。

 私は、介助は楽しかったけど、CIL(自立生活センター)にしっかり関わりたいなと思い始めて、成子さんの専従介助を辞めて都内のCILに勤めることに。でも、とても悲しいことに、半年後くらいに彼女は50歳で急に亡くなってしまった。だから彼女とがっつり関わったのは1年くらいなんだけど、とても大きな時間を過ごさせてもらった。20年くらい前の話。

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支援費制度が変えてしまった、みんなの働き方

 CILでの介助派遣のコーディネーターの仕事は、介助者に渡す給料の計算や袋詰めをしたり、当事者のスタッフと一緒に役所に行って時間数の交渉をしたりした。介助者同士のつどいも開催して。こんな時どうしたらいいのかとピアカウンセラーの方も交えて一緒に話したり。地域のイベントに参加させてもらったり、会員交流会もやった。助成金を調べまくって、もらって、自立生活プログラムのお金にしたりとか。会員という組織の色が強かったので、会員と一緒に組織を作ってるというのが大きく、面白かった。

 そんな中、支援費制度が導入されたことですごい変化が。それまでは学生や主婦など、いろんな方が会員として来てくれていた。利用者さんが自分で介助内容を説明したり、利用者が介助者を育てていく意味合いが大きかったんだけど、移行してからは資格が必要になって、今までポンと学生に入ってもらってたのが大変になった。それに、それまでは介助やお金のことは一緒に考えてきたんだけど、事務作業だと当事者スタッフが関われる部分がなくなってきて、健常スタッフだけが22時とか遅くまで残るようになってしまって。私は、CILってもともとどんなものだったのか、魅力を感じているセンターと様子が違ってきちゃったんじゃないかと問題意識を持った。


誰もが介助者になって自立生活を支えていたのに

 2000~2005年勤めた後に辞めて、NPOの研修でアメリカに行ったり、ボランティアでタイに行ったり海外を放浪した。その後日本に帰ってきた時に、もう一回大学に戻って、あの時の支援費の問題ってどういうことだったのかと考える時間を2009年に持った。

 調べた結果、2003年になると自立生活センターの中でも事業受託が訪問介護(ホームヘルプ)でも2倍近く増加していて、介助派遣が大きな比率を占めていたというデータが出ている。インタビュー調査では、「支援費制度の前の介助者のサービスは、介助は誰でもできるものだった。利用者と支援者の間は人間味があった。」という声が聞かれた。利用者さん側の変化では、CILに限らず、介助者は自分が育てるんじゃなくて、元々介助ができる人を派遣してほしいという人が増えた。ただサービスの受け手になってしまっている利用者さんが増えたのがわかった。元々は誰もが介助者になって自立生活を支えるという理念がとても大きなものだったんだけど、間に事業所が入ることで関係性に変化があったんじゃないかなって。

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後編→https://room-yellow.seesaa.net/article/202206article_7.html

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