私がCILで働いたとき 2022.1.19 すいごごカフェ 本多有希さん(生活支援センター苞) 【後編】

前編→https://room-yellow.seesaa.net/article/202206article_6.html

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自立生活センターの理念を考えて続けて

 当時は、そもそも制度があまりない中で自分達でサービスを作っていくって時に、事業を委託して受けるってどうなんだろう、自分達の理念を続けていくってなんて難しいんだろうというのを肌で感じていた。国の動きに飲み込まれてしまった感じで。じゃあどうやって自立生活センターの理念を広げていけばよかったんだろうとすごく思っていた。そういう問題意識がある中で全身性がまだ残っているわらじの会を知った。独自でやってるところはとても数少ないので、どうやって越谷・春日部でやってきたのか聞いてみたかった。自分達で介助者を使って生活している人がいるんだっていうのがすごく興味深くて。そんなことを思いながら越谷市障害者生活支援センター苞(ぱお)にいて、悩みながら活動している。

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質疑応答
昔は交渉相手だった役所と、ともに考える今

山下:介護の問題というのは、介助する・される相互の関係はもちろんだが、それ以外の地域のいろんな関係が大事だ。トータルに地域の中での生活を考えるということ。自治体とそういうやり取りをしてきて、できたのが全身性介護人派遣事業。障害者が事業をやるといっても、CILで全てをやっていくことはできない。そこに公的な立場にある都道府県や自治体の人間が関わることで、根っこを持ったものになっていくというのが基本にある。団体に属する属さないに関わらず、地域の中で一人でも介助が必要な人をとにかく介助していきますよって開拓していく。これが街づくりだと受け止める自治体の位置っていうのが絶対必要。
 だけど、2003年に全国的に全身性が廃止になって支援費制度に移行した。介助者は事業所から派遣する形を取らないといけなくなり、今までの介助人が「お宅のヘルパーにしてもらえないか」と頼み込んでようやくつながったところもあったけど、今までの生活ができなくなった人が多くいた。
 だから、せっかくできてきた地域や自治体の関わりがカットされちゃおかしいということで県と継続して交渉した結果、県も全身性介護人派遣事業制度を復活させて、春日部とか越谷とかある程度団体があったところはなんとか残った。

本多:介助の仕組みに関してはあまり揺らがなかったのかな、わらじは。私がいたセンター内では自立生活センターの理念!ってやっていたのがガラガラと崩れたような感じで。そういう揺らぎは起きなかった?

中山:理念というのは常に問われ続けてて、わらじでも解決してない。障害者には年金とかあるけど健常者には何もないから給料を払いましょうって、じゃあ職を求めてきた支援者として入ってきた人をどうするかって、新しい人が入ってくるたびにそういう話になる。バザーとか合宿とか、何の肩書も持たない立場の市民として一つの事業を行うことが大事なんだなというのを痛感している。

水谷:役所の役割がずいぶん変わってきたと思う。どういうふうに感じてらっしゃる?それと、今の生活支援センターのお仕事ってじゃあなんなんだって。いろいろ経験積んできて。

本多:自立生活センターで働いていた時は、役所の人間は敵じゃないけど、交渉相手というのがあったし、支援費制度移行の時に厚労省の前で抗議していた時もみんな行っていた。そこで自分たちの主張をして制度を作っていかなきゃって立ち位置でいた。でも今は、サービス事業者さんに対して役所のワーカーさんは交渉相手ではなく、一緒に考えていく相手。そもそも私がコーディネーターをしていた頃は、ケアマネージメントが障害者の分野に必要かな?と思っていた。サービスを使っていく人達が生活を創り上げていくべきだと思うので、果たして計画案自体が必要なのかと思ったりもする。それもあって、わらじの中でどうやって委託事業をやってるんだろうとすごく興味があって働かせてもらってる。行政の手先だと言えば手先なんだけど、でも葛藤はやっぱりあるかな。

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