私の家族ー永遠のテーマ 2022.4.13 すいごごカフェ 松山美幸さん(主婦・聴覚障害者)
逃げ場のない暗いトンネルのようだった子供時代
今日は、私が育った家庭のことをお話したい。母親は昭和7年、山形生まれ。母は確かに私を産んだ人だけど…母の話をすると複雑で、温かい気持ちにはならない。すぐに癇癪を起こし、私に当たり散らし、時には理由もわからずに数時間殴られ続けたこともある。本当に怖かったし苦しかった。今もずっと大嫌い。父は熊本出身で大正14年生まれ。6年前に91歳で亡くなった。この父も一言で表現するには難しい。気分屋で短気で、いつも家の中はピリピリしてた。軍隊生活を経験していたからか、父親も殴ってくることが普通で、本当に恐怖だった。弟が1人いるけど、母は弟のことは猫っかわいがりしていた。母は家事が嫌いだったから、物心ついた時から私が嫌々ながら洗濯や料理をしてきたけど、手際が悪いと殴られたり、まずいと言っては怒られたりした。新聞を読んでる時に「タダ読み!」と言われたり、「育ててやったんだからお金返せ」って言われたことは忘れられない。
私は生まれた時は聴こえていたけど、3歳の時に薬害で聴こえなくなった。両親は聴覚障害のことを理解せずに、「ちゃんと聞けば聴こえるはず」とずっと言っていて、辛かった。全く聴こえないんじゃないけど、所々しか聞こえないために理解できなかったから。
両親の方針もあり、聾学校には行かず普通学校で過ごした。難聴教室がある小学校に通ったんだけど、いじめがすごかった。でも泣いて学校に行きたくないと言っても殴られて、どこにも居場所がなかった。学校で楽しみだったのは給食がおいしかったこと。中学生になると本を読む楽しみを知り、昼休みや放課後は図書室に入り浸った。私立の高校に進むと、そこで初めて友達がたくさんできて、気持ちが解放された。私は早く親元から離れたくて、手に職をつけるために専門学校に行きたかったけど、お前にかけるお金なんてないと母に言われて、進学させてもらえなかった。
小さい時はうまく言葉にできなくて、友達もいなくて苦しかった。私にとっての昭和は逃げ道のない暗いトンネルのような、思い出すと身震いするくらいの暗黒の時代で、今でも本当に怖くて嫌。あの頃には絶対戻りたくない。両親の怒鳴り声が響き、とばっちりも受けて、心が安まらない家庭だった。
大嫌いな父母の介護がスタート
夫は職場で出会った。結婚して家を出ようと思ったけど、母が「お前がいなくなると家のことをする人がいなくなる」というので、夫の了解を得て、そのまま一緒に暮らしてきた。でも、両親が高齢になった時に、とうとう夫から「仕事を辞めてじいちゃんの面倒を見てやれ」と言われて、父の介護が始まった。その流れで今母の介護をしている。大嫌いな両親を介護するのに抵抗があったが、人のお世話をすること自体は嫌じゃなかったし、ケアマネさん、ヘルパーさんなど介護のプロが入ってきてくれたこともあって、苦痛ではなかった。
親ガチャは外れたけど、認めてくれる人や家族ができた
母親から手話はみっともないからやるなと言われてたけど、反抗期だった長女から「お母さんは何回も何回も聞き直すから嫌」と言われたのがきっかけで、44歳の時に手話の勉強を始めた。それで近所の手話サークルに行った時に、初めて自分以外の聴こえない人や手話通訳さんと出会って、初めて自分を肯定的に見てくれる人がいっぱいいたことに本当に感動した。親にも認めてもらえなかったのに、他人に認めてもらうってすごいことだと思った。今の私はお陰様で、人の前に出ることが好きなたくましいおばちゃんになった。
今でいう親ガチャに外れたのね、と思っている。でも、それで学んだこともいっぱいあるから、しょうがないかな。子供を産むのを躊躇しませんでしたかって言われたけど、私は自分の応援団がほしかったから、親からされて嫌だったことは子供にはしないって強い気持ちで育てられた。小さい時は恵まれないことだらけだったけど、その都度戦って蹴散らして、しっかり自分の人生を生きられたかなと思ってる。あとは、最大の反面教師である母の介護が終わってないので、もうちょっと頑張ろうと思う。1週間に4、5回ジムに行っていて、今は一番運動を楽しんでるので、これからも身体に注意しながら子供の負担にならないようにしていきたい。
💠事務局長 山下によるfacebookでの報告
https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/pfbid02RUYSEhwEJ1Cs2FX22n2A6XUdqHQy6s2nEb551U4WoBZJNMpMe2u8wRuHVFPYnaaCl
💠これまでの松山さんのすいごごカフェの記録
2018.5.4 聴覚障害と一緒に55年ーⅠ.地域の学校で共に
https://yellow-room.at.webry.info/201805/article_1.html
2018.6.2 聴覚障害と一緒に55年―Ⅱ.共に働く職場とは
https://yellow-room.at.webry.info/201806/article_1.html?fbclid=IwAR1irqqFQD8gxQfFfEylPip_xKNlwIZgK6V7c5TG5q_MDsd4Fso_8Aq_dlA
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