地域の公立高校へ 障害生徒達の今 2022.6.8 すいごごカフェ 竹迫和子さん(どの子も埼玉連絡会)【前編】

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社会に出るには、障害者も健常者も子供の頃から一緒に育つことが必要

 小学校中学校高校と、障害があってもなくても一緒に学べるように「どの子も地域の公立高校へ 埼玉連絡会」という活動を35年間やっている。だけど、小中高生の一般の子供が減っているのにも関わらず、今は逆にどんどん支援学校が増えてる状況がある。ソーシャルスキルとかコミュニケーション力をつけるとかで、高校でも通級が始まって、多様な学びの場ということで分けているんだけど。でも、そこで就労指導を受けて就労したり、地域で暮らすことが出来た場合でも、その後がなかなか続かないって話をよく聞く。指導をしたらあとは本人の努力だけで普通にやっていけるのかというと、そうではない。一緒に育つということは、本人も周りの人も一緒に学んでいくということ。社会に出てから一斉にやっていこうと言っても、それはとてもできることじゃない。うまくいかないケースもあるかもしれないけど、一緒にいれば周りの子供も先生も一緒に成長していく。だから、そういう機会を最初から奪うのはもったいないと思う。

 募集人数より少ない数の人が受験したら、当然全員採らないといけないんだけど、点数がものすごく低かったとかで落とすことを定員内不合格という。埼玉では、近年は定員内不合格は出されていないけど、昔だと障害があるからってことで露骨に落とされることが全国であった。今も医療的ケアが必要な重い障害の人は、そういうこともあろうかと思う。14年間くらい受験しても落とされてる人もいる。でも最終的に校長が判断することだから、ダメと言うことはできないと文科省は言っている。だから、活動としてはそれぞれの地域でやってきてるんだけど、そういう運動をもっと盛んにしていかないといけないなと思う。

 埼玉では今年受ける人はいないんだけど、毎年話し合いをしている。去年は、肢体不自由の中学生の子の悩みがあがった。少しでも一緒に体育の授業ができるように工夫をしてもらえなかったり、体育の評価が低かったりしたそう。それ以外にも、トイレに行くと休み時間内に終わらず授業に遅れてしまうんだけど、すると謝らないといけないと。それが嫌でトイレに行かないように水分補給もしてなかったみたい。そういうことがいまどきまだまだあるんだな、差別解消法はどこにあるんだと思った。


質疑応答
30年前と今の違いは「差別」の表現方法が変わっただけ?

澤:「養護学校はあかんねん!」とかドキュメンタリー映像を見ると、30、40年前の当時の親としては「普通学校へ」という個人的な強い思いがあってそれが行政を動かしてったというのがあると感じる。今では何がどう変わったのか。

竹迫:今は気兼ねするとか、迷惑をかけないようにって思いが強かったりするのかも。あとは結構特別支援教育を勧められる。昔は「一緒にいてはいけない」っていう露骨に差別的な感じだったけど、いまは「個別にやって力をつけるといいですよ~」って感じで、中身は差別的なんだけど上手に誘っていくというか。昔の親は、親同士日常的に相談するっていうのがあって、できてもできなくてもいいから一緒にいるんだって感じだったけど、今は一人で悩んじゃって少しでも力をつけたいって思いが主流なのかもしれない。

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後編へ続く→https://room-yellow.seesaa.net/article/495389174.html

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