地域の公立高校へ 障害生徒達の今 2022.6.8 すいごごカフェ 竹迫和子さん(どの子も埼玉連絡会)【後編】

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前編→https://room-yellow.seesaa.net/article/495388978.html

質疑応答
障害児の居場所はどんどん別々にされて…

山下:「養護学校はあかんねん!」でも出てきた、地域の中で一緒に生きていきたいんだって障害者達が体を張ってた時代と今の違い。最初は養護学校が義務化されてものすごく増えたんだけど、逆に重い障害の人はそこに行かなかったから、小学部の1年生が誰もいないという時があった。それで文科省は通級制度を作った。通常学級にいて、週に1回とかソーシャルスキルなんかを学ぶクラスに通うという制度。その通級がどんどん伸びて、次は今でいう特別支援学級に行く子供が増えた。①知的障害の特別支援学級と②自閉症・情緒障害の特別支援学級。さらに、その子達の中では県立高校に合格できるくらいの学力があっても高校に行かないような子が増えてきて、そういう子を就職につなげる受け皿が必要だという親からの要求が出て、高等部職業科単独の特別支援学校が作られるといった現状となっている。だから経過としては、障害のある人というよりは、それまで障害のない人とされていた人たちの環境が変わった。

 スウェーデンは、国際障害者年の年の前後に、すべての施設をなくしちゃった。養護学校も基本的にはなくしちゃって、それも地域の学校の中に統合して、一部は特殊学級的なものにしたわけ。ところが、日本の場合は誰も生徒がいないけど、結局養護学校は作った。そうやって一般の障害のない人が特別な支援を求めて増えていく中で、最終的には満杯になっていくと。結局ハコがあれば最終的には埋まるってこと。だから本当はなくさないといけない。


大人になってからの「はじめまして」は障害者も健常者も辛い

日吉:私自身、小学校の6年間は光明養護に行った。だけど、たまたま5年生の時に実家が引っ越した時に、小学校が歩いて行ける距離にあったから、地元の学校に行きたいって言った。でも親も養護学校の先生も周りはみんな反対した。私は、5歳の時からずっと施設と寮だったから、親と一緒に暮らしたいというのが原動力で、どうしても諦められなかった。障害者も普通の子達と一緒に育たなきゃっていう理屈をいっぱい並べて周りを説得して。小学校の時は断られたんだけど、中学の入学式の1週間前に許可が下りて、それで行けるようになった。

 特殊学校とか特別支援学校とか受け皿ができちゃうと、親はそこに入れるとたぶん安心なの。専門家がいて、特別な教育をしてくれて能力を伸ばしてもらえるんじゃないかって幻想に親はとらわれちゃう。だけど、地域の学校で普通の子供達と小さな頃から触れ合うっていう体験は大事で、障害のある子もない子も、いろんな摩擦を起こしながらお互いの付き合い方を学んでいく方向に切り替えていかないと、大人になってから初めましてっていうのは当事者も辛いけど、受け入れる健常者にとっても辛いことだと思う。


今までの竹迫さんのすいごご記録

2017年7月15日 山下からのFB紹介(2017.7.12の回)
https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/pfbid0dHvouzgiurMBBtDfY7CWkjwWL3VRyaNugbVeS83rynv6gHeDnATmeByJ9tT4nZRrl

2019年3月27日 ブログ すみわけ進む街で「共に学ぶ」の現在を語るー竹迫さん(2019.3.6の回)
https://yellow-room.at.webry.info/201903/article_3.html?fbclid=IwAR3dr6-0D9HiECtEGfjKxorl_798HunD9Dab1fyRTCEG4hnlgA37yFaMmzc

2022年6月8日 山下からのFB紹介(今回)
https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/pfbid0zPxNPVkk5Y7zqkNrC1AAobPNJQMPRs5KD6hqFZuMKym27M6hkQ5kHhJorzFarSPzl

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