障害の奥へ 向こうへ 2022.6.15 すいごごカフェ 小井戸恵子さん(障害学研究者・立命大)【後編】

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質疑応答

親の気持ちに大きく左右されるその後の人生

大坂:野島さんは1958年に生まれて、ショーウィンドウから落っこちて頭を打った時、慈恵医大病院の先生は頭の手術をしようと言ったんだけど、親御さんは、こんなちっちゃい1歳の子供にはかわいそうと言って手術をしなかった。もしあの時ご両親が承諾していて失敗していたら、野島さんは今いなかったのかもと思うと、当時のご両親の気持ちが大事なことだったんだと思った。

小井戸:親がどう思うかってすごく影響があるんじゃないかとは思っている。障害が治ると言われたら、どこまでも医者を頼って、失敗か成功かは考えないんじゃないかって。当時は障害児はいない方がいいみたいな発想の中で、治すってことがどういうことか。今の話を聞くと野島さんのご両親はすごい。

山崎:私も35歳になる障害児の親。私の子は今は脳性マヒと診断名がついて。今は知的な障害の方が主だけど。越谷で肢体不自由の施設に2歳から入って、リハビリ的に筋力をつける訓練を受けた。だから、歩けないより歩けた方がいいよねって思う親の気持ちはわからなくはない。通園施設に通っていた時も、みんな歩けることが最善だという感じだった。でも、娘は訓練に拒否反応がすごくて。いろんな訓練法が出てたから情報もいっぱい集めたんだけど、私自身が疲れ果てて、3歳くらいの時にもうやるなと言った。もうありのままでいいやって。ただ、私がこの子の親になった時よりももっと、そういう人を受け入れる社会の寛容さが今どんどんなくなってきてる。


精神科のロボトミーと脳性マヒの人にされた手術の違い

山下:ロボトミーというのは頭の中の前の部分を取ったり、あるいは切る。暴力的な意思をなくすことが目的。なぜ精神科のロボトミーとは違って、脳性マヒに対してやられた手術は問題にならなかったか。脳性マヒの療育は、生まれてすぐから親も関わって訓練や手術をして、なんとかしたいって人がいるわけ。精神科の場合はどちらかというと、うちじゃ面倒見きれないっていう大人が精神科に行く。
 
 昔、我々が医学生だった時にインターン闘争というのがあって、大学病院の医局の在り方を問うたりいろいろやったんだけど、その時一番大勢が行った所は精神科だった。精神科病院というのは全国的にあるけど、日本の精神科というのは世界の中で一番閉じ込めてるところ。そういうことに直面して、精神病院をなんとかしたいって人達が当時いっぱいいた。その人達が精神神経学会の中でだんだん多数派になって、それまで精神病院で上に居座ってた人達を追放しちゃった。で、若手が学会の中心になって、基本的には閉じ込めて危険なものは外に出さないという医療の在り方に対して、いろいろ批判してきたと。その中でロボトミーの問題も出てきた。

 ところが逆に、脳性マヒの人達は、家族もなんとかよくなってほしいってことで基本的に療育施設とかに行く。当時はボイタ法とかボバース法とかドーマン法とか、いろんな脳性マヒの理学療法や訓練をやっていて、そういう中で脳性マヒに対する脳の手術も行われてきた。でも疑問を持つ当事者や家族は少なくて、告発なんてなおさらしない。精神系学会では「ロボトミーとかの精神外科はありえないから今後はやっちゃいかん」って決議されたけど、全世界でも日本だけなの、そういうのは。だから日本精神医療はいかに拘禁的な医療か。そこは大きな違い。

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