もてあそばれる介助者として 2022.8.31 すいごごカフェ 吉原広子さん(ILPぽぽんた第1期介助者) 【前編】
とにかく街へ出てみよう、と始まった”ぽぽんた”
こばと館がILP(自立生活プログラム)を始めるという情報を山下さんが入手して、じゃあその前にわらじでもやっておこうということで始まった活動が「ぽぽんた」。最初は養護学校とかにビラをまいて、わらじの会とは関係ないところから2人迎え入れての活動だった。30年くらい前の話。今配っている「もてあそばれる介助者」というタイトルの連載記事はその頃私が書いたもの。
ぽぽんたでは、参加する障害者5~7名に対して介助者は私1人で毎回街の中を歩いていた。「今日はここに行くよ」って集合しても、持ち金は50円だけで、「これでどうするんだ」「じゃああなたに付き合って昼食はこれだけにしましょう」ってなったり、昔は下調べもなくぶっつけ本番だった。電車に乗るとか一応計画はしてたけど、介護制度もきちんとしてないし、その頃は今みたいにエレベーターとかはなくてバリアフリーにはほど遠くて、何をするにも周りの人達に助けてもらわなきゃいけない状況だった。でも、目的地での1時間の滞在のために毎回3~5時間移動してたけど、「次回はどこでやるんだ?」、「次回もやれるんだ」って、みんな楽しそうにしている参加者のパワーに毎回圧倒されてた。
何かしらの問題といつも向き合いながら
誰かがいなくなったとか、誰かが通行人にパンチを食らわせたとか、いつも事件はあって。いろんな人に謝っていたし、いくつもの駅に電話したのを覚えている。越谷での活動の帰りにゆっちゃん(巽優子さん)を誰かに見てもらわないといけなかったんだけど、稔さんが「俺が見るよ」と言ってくれて、悩んだけど稔さんに頼んで2人で帰ってもらったの。そしたら、どこかでゆっちゃんにバイバイされちゃったみたいで。2時間くらい後に1人で大袋に戻ってきてくれたからよかったんだけど。そんな感じで、ILP自立体験プログラムのことや、いろんなことがわかってない私だから続けられたんだろうなと最近は思ってる。きみこさんを電車に乗せようって野島さんに言われて付き合った1人でもあるし。その時は、駅まで送っていったら、後ろから離れて見てた。そんな感じで、バリアフリーのなさと人手不足でいつも困ってはいたんだけど、でも振り返ると楽しかったなと思う。
質疑応答
介助者に助けてもらいながら、人間関係を広げていく
山下:さっき配ってくれた「もてあそばれた介助者」っていう文章が1992年の月刊わらじに載った。その年はピープルファーストっていう、身体障害者の運動とは別の知的障害者の自立生活運動がアメリカで始まって、日本でも交流が進んだ。例えば、身体障害者運動だと基本的には本人の自己決定。本人が介助者を雇ってトレーニングをしたりする。でもピープルファーストの方は「介助者」じゃなくて「援助者」を作って、援助者に支えられて地域の中で生活を広げていくという形。
一人でどこか遠くの方まで走ってっちゃうとか、普通の喋りはできないけど、ぶったり何かすることが言葉の代わりだったりするような、非常にこだわりが強いような人達が参加したわけ。このわらじの会の自立体験プログラムも、そういう人達が街に出て行くものだった。ふくちゃんは地域の活動拠点の職員として参加して、その中でもてあそばれたと。当時、身体障害者のJILという自立生活運動では、施設や家の中にいた人達が街の中に出て、周りの壁と向き合いつつも、自分1人じゃ越えられないから周りの介助者に手伝ってもらってバリアを壊しながら人間関係を広げていった。活動としては自立生活プログラム、ピアカウンセリング、介助者のトレーニングなんかをやっていたわけ。
ぽぽんたでは母親3名が協力してくれていたんだけど、みんな子供を地域の通常学級に参加させてきた人達だから骨太だった。だけど、わらじの自立生活体験プログラムは電車に乗って遠くの方に行ったりするし、地域を越えたところで車椅子を担いだりして危険・リスクも負うものであったから、大変だった。
後編→https://room-yellow.seesaa.net/article/498565932.html?1678755061
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