もてあそばれる介助者として 2022.8.31 すいごごカフェ 吉原広子さん(ILPぽぽんた第1期介助者)【後編】

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質疑応答
特別支援教育の変遷とともに変わった、当事者親子の考え方

日吉:障害者の生活支援センターぱおが北部市民会館で始まると、わらじとしてのILPはぱおでやるようになった。一時は身体だけじゃなくて自閉の人とかも参加して結構賑やかだった。プログラムは3~4日あるんだけど、参加者の親は集合場所に送り迎えをしたら帰ってもらってた。職員と介助者は関わってるけど、バックアップは黒子って形で陰から見てて、どこの電車に乗るかなんてのを自分達でやってもらってた。トラブルが起こるとお店の人は介助者に文句を言っちゃうんだけど、私達は「怒るなら本人に言ってください」って言っていた。今は特別支援学校もいっぱいできちゃったから、普段は知的とか身体とか混ざらないけど、ILPに来るといろんな障害がごちゃまぜ。友達の中でも実は分けられてるから、最初は付き合い方もわからなくて、腹が立ったりする。でも慣れてくると、少し動ける知的の人なんかは車椅子を押してくれたり、ご飯を食べさせたりしてくれるようになって。やっぱりハプニングは毎回起きるんだけど、ドキドキハラハラしながらもすごく面白いなって思った。
 ILPはコロナで3年もできないままなんだけど、そのさらに3年程前から「今はそういうのに参加させようって親がいませんよ」って特別支援学校の先生に言われていた。いつも8月にやってたんだけど、今の特別支援学校の人達は施設見学に行ったり、学校の中で職場体験って内職みたいなことをしていて。先々のことばかり目がいっていて、施設とか以外に目を向けていく親がすごく少なくなっていると感じる。

山下:2000年くらいから特別支援教育が広がって発達障害者支援法ができて、特別支援教育がかなり変わってきた。人間の行動をいろんな要素に分解して1つ1つに対して対応する丁寧なやり方がアメリカから入ってきて変わってきた。
 自閉症とか知的障害の子供は対応できずに飛び出していっちゃうことがあるけど、指示を出す前にその子の名前を読んで意識を向けさせるとかね。次の段階では「教科書を開きますよ」とか、「鞄から出してね」とか、「鉛筆を持とうね」って一つ一つに分けて訓練していく。そのためには座席を前の方に配置しておくとか。これは就労支援でも、「この仕事をいっぺんにやってください」じゃなくて、順番に歩いて行けば仕事ができるように配置をしておくとか、そういうパターンがすごく進んだ。だから、そういうのに慣れちゃうとやっぱりそこの世界から出られないし、きめ細かくやってくれるところじゃないと親は心配で、「自由すぎる自立生活体験プログラムに行かせたら大変だ、事故にあったらどうするんだ。せっかく身につけたものがパーになっちゃう」っていうふうに変わってきたんだと思う。


昔は普通にあった、重度障害者1人での行動

大坂:きみこさんが1人で電車に乗って行ったって話。その時は指示書みたいなのは書いたんでしょ?

吉原:その時は「市役所に行きたいので、できたら送ってください。あなたのできるところまでで結構です。リレー形式でもなんでもいいので、草加市役所まで連れてってください。」って書いたのを貼り付けて。

大坂:なんでそういうの最近なくなったんだろうね。

吉原:危ないのもそうだけど、介助者がつこうと思えばつけるからじゃない?野島さんときみ子さんが大喜びだったのは、なにせ男の人がついてくれたから。キャーキャー喜んでた。

大坂:山下さん、当時はピープルファーストみたいな、かなり乱暴なILPをやってたんですかね。

山下:やってた。今みたいに制度がないから、「遠く離れたところまで行きたいんだ」って書いた紙や旗をつけて集合場所まで来た人が当時はいたわけ。制度がある今では、なんでそんなことをやるんだって言われる。いくらエレベーターがあっても、もし大災害が起こって駅に取り残されたらどうする?って訓練のために、車椅子ごと乗客に階段をかついでもらうだけでもかなり抵抗がある。

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