支え合い、育ち合い 2023.2.1 すいごごカフェ 山田ゆう子さん(越谷市民ネットワーク、市議)【前編】
いろんな職種を経験して…
1982年12月24日生まれ。4人兄弟の長女。出身は東京都多摩市。うちは両親がともに航空会社で働いていて常に転勤族だった。でも、親が宮崎空港に転勤になった時にあちらの気候をすごく気に入って、移住した。だから小さい頃は関東で育ったんだけど、一番長く生活したのは宮崎。宮崎農業高校を卒業後は早く自立したくて、静岡県浜松市の紡績工場に就職した。学校に通いながら勤める若い子や外国人の人達もいて、いろんな人が世の中にいるんだなって初めて感じた面白い体験だった。でも、紡績工場は過酷で暗い仕事だったので、今度は華やかな仕事がしたくなって、上京してディズニーランドのカストーディアルキャストっていう掃除する係として働いた。2年間くらいは楽しかったんだけど、週5の契約なのに閑散期には週1回しか入れてくれないなんてことが普通にあって、生活に行き詰まりを感じるようになったので、今度はマッサージのセラピストとして、リラクゼーションサロンで働くことにした。そしたら、この仕事がすごく楽しくて。いろんなお客さんと話したり、マッサージそのものも自分に向いていたので、気がついたら全国指名ナンバーワンに選ばれたこともあった。その後店長になってお店を切り盛りしたりしながら、がむしゃらに10年間働いた。
政治へ興味を持ったきっかけは、3.11の原発事故
そのうち結婚して、2人男の子を出産した。仕事でもある程度やりがいを感じられるようになって…そんな充実していた時期に3.11の原発事故が起きた。父が福島出身なこともあり、大変なことが起きたんだということを肌で感じた。それまで政治や世の中の出来事に関心はなかったんだけど、不安に思っていろんな情報を探していたら、同じような気持ちのお母さん達が、放射能を測ってほしいって請願を議会に出しに行くといったアクションを起こしていることを知って。そういった直接的な行動ができるんだってことにすごく感動して、私も一緒に学習会をやったり、市役所に要望を持って行くようになった。
しばらくすると、当時議会や行政へのアプローチをレクチャーしてくれていた辻浩司さんから、市民ネットワークの議員にならないかと声をかけられた。私は、議会や市役所は男性ばかりだということにすごく違和感を持っていたので、そうした場を変えていくのも面白そうだなと思って、2015年の市議選に初めて出た。その時上の子が小学校1年生に上がるタイミングで、下の子が3歳。一緒に取り組んでくれたお母さん達の子ども達も小さくてすごく大変だったんだけど、でもだからこそ私達にしか訴えられないものがあって。地盤、看板はなかったんだけど、32人中5位で当選することができた。
ピンチを乗り越え、様々な問題に取り組んできた1期目の活動
1期目の活動は本当にいろんなことをやってきた。放射能から子ども達を守る活動からスタートしたのが私なので、もちろんその活動も続けているし、「いのちと暮らしを考える会」を作って、子宮頸がんワクチンの影響についてや、食の添加物の学習会をしたり、子ども議会報告会というので子ども達を議場に呼んでクイズを出すなんてことをやったり。怒れる女子会という、社会で女性がなかなか声を大にして言えないようなことにスポットを当てて話していこうという会も立ち上げた。
でも、“おっさん発言”でピンチに陥ったこともあった。ある時、介護や子どものことで議会を休まなければいけない時はどうするって話になった時に、他のおじさん議員から「育児の代わりなんて誰でもいるけど、議員の代わりは誰もいない」といった発言があったんだけど、それを私は誰が言ったかとか、「こんなおっさんばっかりじゃ議会は変わらない」とFBやブログに書いたりしたので、山田議員は市議会の議員をおっさんと呼んで、自分達が言ってもいないことをネットで書いていると議会で問題になってしまって。3時間ベテラン議員に質問されるみたいなこともあったんだけど、でもその時もいろんな人が傍聴に来てくれて、共感してくれる仲間も増えたので、思うままに発信してよかったなと思う。そうやって、いろんな人と知り合って、その過程で感じた問題に手当たり次第取り組む形で仲間を増やしてきたというのが1期目の活動だったと思う。
後編へ→https://room-yellow.seesaa.net/article/499339990.html
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