友、先生、そして仕事 2022.5.11 すいごごカフェ 佐藤秀一さん(世一緒利用者)
自分が障害者だとは思わず生きてきた
佐藤:食べたものを戻しちゃうとかいろいろ症状が出たから病院で検査してもらったら、こぶし大のでっかい脳腫瘍があるということで、小学校の時に手術をした。その時に病院で一緒になった同い年の木下くんとは友達になれた。最初働いたのがとび職。高いところで仕事をしていたら、ある時地震があってクレーンで降ろしてもらった。怖いからもうやめようと思って仕事を探してたら、親友の木下さんが、自分が働いている靴を作る会社[(株)ハルタ)]を紹介してくれて、正社員で働くことになった。でも10年間やったけどリストラにあっちゃった。ハローワークに行って、今度はフナショクパン[ユアサ・フナショク(株)]でケースを機械で洗う仕事に就いた。でも7年くらい働いたら、船橋の方へ移転するということで辞めた。で、その後なかなか見つからず。
佐藤母:何日か前から、昨日も一生懸命練習してたじゃない。そういうのも報告しないと。「B型の実習に行って、時間が経つのが早くて、楽しくやってこられたってことを言いたい」って言うんで。
大西:今はデイズに実習に通っていて、封入作業とかいろんな仕事を回されている。実働2時間程のお仕事。
山下:越谷ハローワークに行くまでは障害者手帳を取ってなかったんでしょ。なんでそこで障害者雇用になったと思うの?今まで健常者として働いてきたけど障害者と言われて、はじめはどう思った?
佐藤:えぇ?って。ハローワークで言われたけど、障害者だと思ってないし。
母の思い、子の思い
佐藤母:生まれてから普通に過ごしてたんだけど、5年生で脳腫瘍で病院に行った時は、最初は風邪だと診断されて。でも風邪にしてはおかしいなと思って病院に行った。それでCTで脳波を取ったら、かなり大きな腫瘍があるからすぐ手術しないといけないとなって。今は脳腫瘍は完治してる。でも、手術の後に切り取れなかった部分に放射線を当てたから、血管が普通の人よりも3倍くらい歳を取ったような血管になっちゃってるらしい。すると詰まりやすいので、それで35歳と37歳の時に脳梗塞を起こしちゃったんだと思うんだけど。ここまで本人の努力や頑張りもあるんだけど、兄弟とか周りにいろいろと助けてもらったりして。こういうふうに皆さんの前に出てこられるっていうのは私としてもすごく幸せ。ただ、言葉があまり通じない部分とか、マヒしてるのでよだれが出たり、箸でつかもうとしてもこぼしたり落としたりするって意味では、皆さんに本当申し訳ない。
今は世一緒、リハビリ、こばと館などに通っていて、月曜から金曜まで毎日出て行く。でも帰ってくるまでがやっぱり心配で。最近も田んぼに2回落ちてる。坂になってて、もがこうとすると重みがあるんで余計上がれない。近所の人を呼んだり、ちょうど来たヘルパーさんに助けてもらったりしたけど、重いから本当に大変。だから、帰りのバス停に何時に着くよって時は10分くらい前から私は出て待ってるし、散歩行く時もなるべく一緒に行くようにしてる。真冬の場合は暗くなったらどこで落っこっちゃったかわからないもんね。それにそういう時って声が出ないと思う。転んだ場合も、車が来たらひかれちゃうじゃないですか。そういうことで、帰ってくるまで心配。今日も無事に帰ってきたって感じで。
大西:でもせんげん台でも1人でイオンに行ってきたりとか。1人で出かけたいんですよね。ちょっと冒険したいというか。転んでないか心配ではあるけど、やっぱり一人の時間がしたいのかなって。
佐藤母:一人でもお店入っちゃうしね。たまに餃子食べようとか話してると、もうお店に入っちゃってる。送り迎えしてもらってるから、しょっちゅうじゃないけど、1ヶ月に1回か、2回くらいある。
日吉:お母さんが心配なのはすごくよくわかったんだけど、「たまには一人で帰りたい時あるんじゃないの?」って佐藤君に聞いたら、「うん」って言ってたから、本人としては自分の好きなようにしたいっていうのも当事者としてすごくよくわかった。たまには断るっていうのもありだよって話もしたんだけど。
内野:バスの運転手さんも秀一さんが世一緒の前から乗ってくんだなっていうのはご存知です。そういうのはいいですよね。ゆっくり待っててくれて。
佐藤母:うちの方のバスでも、次が回送になると、ちょうど降りる場所に停めてくれる。寝てて降りてこない時は、運転手さんに「後ろですよ」なんて言われたり。
日吉:佐藤君がそうやって毎日外に出ていくことで、自分の生活体系を耕してるというかね、今までそうやって頑張って外に出た成果だと思う。
佐藤母:引きこもりじゃなくて結構出て行く方だから。近所の人も結構良い人でね。わかってくれてる。
西陰:佐藤さんのお母さんは近所の方とすごい仲が良くて、それで前を通ると行ってらっしゃいって一緒に送り出してくれたり。こういう関係っていいなと思った。
日吉:佐藤君、だんだん体の言うことが年齢と共にきかなくなってきてるんだけど、一貫して働きたいってアピール。私はそこがすごいなと。その大事にするコツっていうか、ずっと思い続ける理由ってあるの?
佐藤:働かないと、なまっちゃう。
内野:最初はバイク乗って来てたんだもん。大きいバイク乗ってね。
佐藤母:鴻巣まで何回も何回も通って、バイクの免許はもういいよって言ったんだけど。6回やってもだめで、7回目でやっと取れた時は嬉しくて。私も信じられなかった。それでしばらくは世一緒にもバイクで通ってきてたり。ハルタの時は五反田だったから電車で10年間近く行ったけど、フナショクは草加の弁天町にあったんでバイクで行って。脳梗塞をやってまもなく、やっぱり危険なんでやめたんだけど。2度やってるから、3度目はみんな怖いって言われてるし。何かあったらと常日頃思ってるけど。食べるものとか気をつけないとねって感じで。でも食欲が良くて好き嫌いがないから、なんでも食べちゃう。
今までの佐藤秀一さんのすいごごの記録
https://room-yellow.seesaa.net/article/201910article_8.html
2019.9.11 就労移行支援「世一緒」の現場から 職場実習を通して通勤・就労の介助を考える
https://room-yellow.seesaa.net/article/201809article_5.html
2018.9.26 工場労働が好き、障害は重くなったけど-
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