県庁内福祉の店かっぽ 2022.7.27 すいごごカフェ 板倉真紀さん(県庁内かっぽ職員)【前編】
今思えば不思議な野沢さんの介助から始まった
草加市生まれで、2歳の時に越谷に転居してきた。障害のある人との最初の関わりは、小学校の特別学級の子達との交流。大人になってから障害者に出会っても抵抗がなかったのは、7歳で障害のある子達と出会ってたからだと思ってる。
97年にわらじの会の前会長、野沢啓祐さんに出会った。私には姉が2人いるんだけど、介助者募集の話が回ってきてから、うちは3姉妹で野沢さんのところにお世話になった。私は17~21歳の時に介助に入っていたんだけど、当時から不思議だったのは、野沢さんの夕食の介助者は女子高生から女子大生限定だったこと。野沢さんの周りに介助の女の子が4人も5人もいて、代わる代わる食事介助をするみたいな形で。それに、野沢さんという人は私達が介助に来る時以外の時間を何をしている人なのか誰も知らなくて。本当に謎めいたおじさんだったなというのを覚えている。でも、野沢さんと会ったことが私の中で結構大きなきっかけとなって、99年に福祉系の短大に入学した。
わらじに関わるようになったのは2000年に短大の福祉実習でべしみにお世話になったのが最初。で、少しずつ接点を持つようになって、2001年に短大を卒業した後、当時あったCILわらじの職員になった。わらじで働く決め手になったのは、他の福祉施設とわらじの人達が全然違っていて、わらじの方が楽しそうに見えたから。でも、高校生の時から介助以外のことを一切してこなかったので、福祉業界からちょっと離れたいと思って、2006年に退職した。
”世間と関わりたい”って気持ちを応援する場所
でも、辞めてすぐにかっぽの店番をやっているぺんぎん村って団体から「かっぽをやる時のボランティア的な人がいなくて、週1回でいいからやってくれない?」って囁かれて。で、2年程かっぽの手伝いをしたりしながらフラフラしていたら、私の前任者の中木さんから、かっぽの運営をやらないかと突然言われて。でも、中木さんの代わりに私がやるのは荷が重いと思っていたので、引き受けるつもりは全然なかったんだけど、山下さんが「経験も年齢も違うんだから同じようにやる必要はない。真紀ちゃんがやれるようにやればいいんだ」みたいなことを言ってくれて、それならできるかもしれないと思って、かっぽに専従として入るようになったのが2009年。だから、今年でかっぽに勤め出して13年目。
かっぽは1997年に開店した埼玉県庁の1階にあるお店。かっぽは働く場だけど、かっぽから一般就労にいく方はほぼいない。一般就労では気持ちが落ちていってしまって行き場がなくて休みたいとか、それでもちょっと働きたいとか、世間と関わりたいって気持ちで来る人の場所だと思ってる。
今はだいたい延べ10団体が毎日日替わりで店番に来てくれている。店番の仕事は、9時半に集合で掃除をしてから、開店準備。販売準備をして、お弁当売ってからお昼休憩。その後帰ってきて販売準備、販売行って帰ってきて閉店作業って形。その中でもメインは定点販売。専用の台車にお菓子や飲み物を乗せて庁舎の中を販売に行く。一方で私は、商品の仕入れ、店番団体さんのコーディネート業務の他に、店舗での販売の他、「今度こういう会議があるからお茶を何個お願いしたいです」とか、「現金じゃなくて振り込みでお願いしたいです」といった注文の対応をしたりしている。
商品は障害者施設関係の商品を販売することが主だったんだけど、正直なところ限界があって。それで、2016年くらいから県内市町村の物産品を置いてみようと、B級グルメで優勝したものを仕入れてみたり、いろんなものを取り扱うようにシフトした。注文販売もやっているし、最近は名刺に点字を入れるサービスも始めた。
後編 https://room-yellow.seesaa.net/article/500650594.html
この記事へのコメント