県庁内福祉の店かっぽ 2022.7.27 すいごごカフェ 板倉真紀さん(県庁内かっぽ職員)【後編】

前編 https://room-yellow.seesaa.net/article/500650489.html

DSCN8736.JPG

県と定期的に協議して作り上げてきたかっぽの在り方

 かっぽは、うちの代表の小田原の個人商店という形を取っているために福祉的な制度というのは何も使っていない。だから、障害のある方が毎日店番に来るといっても補助金は出ないし完全に売り上げで賄っているので、比較的いつでも財政的に閉店の危機を迎えてるというか。その危機を乗り越えるために、前任者の頃から県の担当官と定期的に話し合いを持ってきたと思う。

 2008年くらいにはかっぽの真下にコンビニができて売り上げが減っちゃって、どうしてくれるんだということで前任者が協議をしたところ、「かっぽさんが管理するということで飲み物の自動販売機を1機置けるようにします。」ということで落ち着いた。施設に通う方や在宅の方が、介助者をつけて県庁で職場体験実習をする事業を考えていただいたこともあった。

 お弁当業者さんから「どうしてかっぽさんだけ好きなところで販売ができるのか」と、県にクレームが入った時も、県と協議した。かっぽは業者さんとは別なんだという話はしたんだけど、県としてもかっぽでやっていることを把握していく必要があるだろうということで、6年前から定点販売でやるというルールになった。

 かっぽは使用料を払って県庁の場所を借りているんだけど、県は場所は貸すので好きにやってくださいって形だったと思う。でも、担当課の障害福祉分野の方ときっちり連絡を取り合いながら、県の中にあって、障害のある人達が働いている場所だっていうのをちゃんと位置づけてもらうようになったのが、定点販売に切り替えた頃じゃないかなって感じている。県庁の職員さんの中にも障害者の方はいるけど、こらえられなくて廊下をぱーっと走っちゃうような方っていうのはなかなかいない。迷惑と思ってる方もいると思うんだけど、埼玉県としてかっぽという店があって、こういう人達がいるっていうのをなんとなく認めてくれているっていうのは、埼玉県の職員さん達はすごいなって思っている。


時間をかけることで目にすることができた、一人一人の変化

 菅野さんは最初は荒井義明さんの介助という形で店番に来ていた。そこに萱場さんが加わって、私もフラフラしていた時代に加わって、4人でバカボンズって名前をつけて、月に1回第4金曜日に販売をしていた。そのうち荒井さんが首が痛いと言って抜けて、次に私もかっぽの専従になるといって抜けちゃったので、今は菅野さんと萱場さんだけでバカボンズと名乗って月末金曜日に来てもらっている。

 菅野さんは、バカボンズの一番最初の頃とか、ほんとしょうもなくて。気づいたら「荒井さん、一服してきていい?」っていなくなっちゃってた。でも、ここ何年かは菅野さんは何も言わなくても全部自主的に次はあれやるんだよねって感じでちゃんとこなしてくれる。閉店後にその日の売り上げをみんなで計算する作業があって、出会った当初はできないと言って近づきもしなかったのが、気づいたら電卓をやり始め、少しずつできるようになって。今64歳だけど、60代になってからやれることが増えてきてすごいなと思っている。

 萱場さんももう15、16年くらい来てくれている。萱場さんは介助者として3回、バカボンズとして1回で月に計4回来る。その1月の中でも波があって、毎回同じ作業しかないのに、「あ~忘れちゃったぁ」ってよく言っていて、私はそのことを樋上さんによくこぼしている。

 私が27くらいの時に出会った、ぺんぎん村の熊谷に住んでいた方は、店番で来ているはずなのに、かっぽの前にあるソファーに寝っ転がってミニカーをカッチャカッチャいじっているような感じだったんだけど、ヘルパーさんに教えられてだんだん販売の準備や片付けをしてみたり、販売にもついていくようになって。

 みんな休むことなくきっちり来てくれるのですごく助かっているし、少しずつ店のことをやったり、私以外の県の職員さんと関わりを持てるようになったりしているのを目の当たりにしていると、時間をかけると人って変化するんだな、人の変化って面白いなと思う。

DSCN8729.JPG

この記事へのコメント