議員になったわけなど 2022.8.24 すいごごカフェ 辻浩司さん(埼玉県議会議員)【前編】

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私を育んだ地元の武里団地

 私は、当時東洋一のマンモス団地と言われた武里団地で生まれ育った。幼稚園は、制服や園バスがなくて、障害のある子供を結構受け入れてる自由な園風のあゆみ幼稚園。会沢完さんや樋上さんも卒園生。小学校では、隣の小学校の障害のある子のランドセルや帽子を通学路で引っ張っていじめて、怒られた経験がある。中学校は谷原中。落語研究部に所属して、喋る基礎はその時に学んだなと思う。あと、3年間同じだった担任が「世の中を疑う目を持たなきゃだめだ」と言うような個性的な先生で、教育方針を巡って校長先生に食ってかかるような場面も目にして、時には上の立場の人でもおかしいと思ったら異議申し立てしていいんだと学んだ。

 ところで、当時からわらじの会は地域で活動していて、重度の障害のある人が街を行き来していているのを私も見かけたりしていた。橋本克己さんなんかは手こぎの車椅子でうちの母親の車にガリガリっとこすったんだけど、見えてないからそのまま行ってしまったんだって。母は、「なんでそんな障害のある人を1人で行き来させてるんだ。」と抗議の電話をしたら、その電話を受けた山下さんから「障害者の何が悪いんだ」的な対応をされたそうで、母は非常に腹を立ててた。そんな話を聞いていたので、非常に悪い印象がある会だった。


ワンダーランドはすぐ近くにあった

 高校は、千葉の渋谷教育学園幕張高校という私立高校に進学した。でも千葉県でトップレベルの進学校だったから、なんとか入ることはできたけど全然ついていけなくて。高校2年の時に立候補して生徒会長になったけど、たいしたことはできずに終わってしまった感じであった。

 また、父親がリストラにあい、悶々とした時期があった。父はサラリーマンで、良い大学、会社に入れば良い人生だって価値観だったのに、その会社からリストラされるのを目の当たりにして、どうしたらいいかわからなくなった。海外を放浪してみようかとか、いろいろ考えたんだけど。その時に地元に外国以上によくわからないワンダーランドがあるじゃないかと気づいて…それがわらじの会。障害のある人がどうやって暮らしているのか、考えてみれば知らないなあと。そういうところに関わったら価値観が変わるんじゃないかって自分探し的な感じで高校3年生の時にわらじの会の門を叩いた。その時に橋本克己さんや山下さんと出会い直しをしたり、藤崎稔さんや吉田昌弘さんの生活介助に入ったり、糸賀美賀子さんの事務介助をしたりした。


いろんな経験を積んだ学生生活を経て、わらじの会専従職員に

 その後、考え直して1年間浪人して東京都立大学に入った。通算8年間在籍して、主に学生自治会活動に励み、自分達のことは自分達で決める大事さを学んだ。また、ワンダーフォーゲル部では全国どこでも鈍行列車で行って、麓の無人駅で寝て、山中で8泊とか9泊したり。山谷地区という南千住にある日雇い労働者の街に住む人達への炊き出しなどの支援活動にもボランティアで参加したり、いろんな経験をした。

 大学8年目に就職に向けて求人票を片っ端から見たけど、何一つ自分が実際にやってる姿が想像つかず、鳥取県の農村に1年間住み込んで村おこしや農業を手伝いませんか、というNPOの募集に参加することにした。二十世紀梨作りをしたり、その村のいろんな民話を紙芝居にしてあちこちの幼稚園とかで上演したりして、いろんな地域の人とまみれながら1年間過ごした。その後2003年に戻ってきてどうしようかなと思っている時に、野島さんからケアシステムわら細工の職員にならないかと言われ、当時月給10万円だったけど、障害のある人とない人と一緒に地域を作っていくことができたらいいなということで、専従職員になった。

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後編→https://room-yellow.seesaa.net/article/500813166.html

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