すいごごカフェの秘密 2023.1.18 すいごごカフェ 山下浩志さん(当会事務局長)
普段はなかなか話せないけど、本当は語りたいことがありすぎる人達が語る場所
すいごごカフェは、ゲストが自分の生い立ちとかのトークをして、集まった人がそれに対して質問する形でやってるけど、私自身もこんなに長く続くとは思ってなかった。2017年の4月から始まって、今度の3月で6年になるけど、今までに250~300回くらいやってきてるというのはものすごく驚異じゃないかな。
正式にすいごごカフェが始まる前の2015年1月、9月、2016年4月には、予行演習みたいな形で画廊喫茶というのを3回やった。その時は就労支援センターの業務が終わってたし、まだせんげん台世一緒もできてなかったから、行き場がない人が結構いて、じゃあせっかくだからみんな交代で喋ってもいいんじゃない?ということで。その時集まれる人だけでやるから案外こじんまりとしていて、それほどプレッシャーもない。その反面、つながりができたから、これはできるんじゃないかなってそこで実感を持った。
今までのゲストの構成は、連れ合いの水谷は専門家として7、8回やってもらってるけど、他の人はそんなに多くない。市民活動をやってる人や学生さんとか、地域の中で出会ったいろんな人に話してもらった。でも、やっぱり圧倒的に多いのは障害を持った人自身。あとはそこに関わってきた人。
2017年度と2018年度のゲストを比べてみると、様々な障害のある人とその家族の語りが格段に増えた。ごく短い言葉でなら可能だけども、すいごごカフェのように1時間もの語りはなかなか不可能に見える人達。でも、語る中身がないんじゃなくて、本当はありすぎるからこそ気持ちがあふれてしまって普段はなかなか語れないという、人生の多くで語ることを奪われてきた人達。
だから2018年度は様々な障害のある人々やその家族の語りを紡ぐための補助として、事前の年表作りとか、当日に写真をスライドで流すとか、本人を知る家族や同僚や支援者などに同席してもらって側面から証言してもらう、といったことにも力を入れた。関わる人達もひっくるめて表現をすることで、本人も自らを確認していくと。終わった後もSNSやブログやホームページに報告をUPするにあたって、できるだけ関連資料を参照し、ゲストが生きた時代、生きた世界を浮き彫りにできるよう努めた。
こうしたすいごごカフェの手法は、文化人類学でいうブリコラージュに通じる。ブリコラージュというのは、その土地のあり合わせの材料を活かして自分の役に立つ道具を作ったり、暮らしを立てていくということ。今はなんでも自己責任で、他の人の世話になっちゃいけないと言われる時代だけど、だからこそ人と人の間が完全に分かれちゃって、だんだんにギスギスした関係になってしまっている。否応なしに出会うことを含め、ちょっと手を借りたことで関係が生まれていくということがすいごごカフェとつながってるんじゃないか、と思う。
ヒューマンライブラリィに通じる、話したい気持ち、聞きたい気持ち
小学校や中学校で福祉教育では、車椅子体験や視覚障害者体験をするとか、車椅子の人が自分の体験をみんなに語るといった活動がメインで今まで福祉教育をやってきた。でも埼玉県の障害者施策推進協議会では、障害者って一つにくくれないから、ヒューマンライブラリィ(人間図書館)って活動を取り入れて、福祉教育の在り方を見直していく必要があるんじゃないかということが話されたりしている。
ヒューマンライブラリィっていうのは、たとえば大きい会場の中にいくつか部屋があって、その中に障害のある人が1人ずついるんだけど、図書館で本を借りるようなイメージで、自分が話を聞きたい障害者のところへ参加者が行く。福祉教育だと基本は障害のある人が前に出てって自分の体験を喋るけど、ヒューマンライブラリィではその部屋を訪ねた参加者たちが質問する。どこで生まれたんですか?とか、障害を背負ってどうですか?とか。本は最初から読む必要はなくて、どこから読んだっていいんだよって感じなのがヒューマンライブラリィ。すいごごカフェでも、人によっては喋るのは30分くらいで、基本皆さん質問してくださいって時があるけど、そういう部分はヒューマンライブラリィに似てるところがある。
今の時代、知的な障害を持った人の多くは職場で働けず、就労A型とかB型とか福祉的な場で働く人の方が多い。昔はそんなのなかったから、殴られたり蹴られたり、ものすごく差別がきつい中でも町工場とかいろんなところで大勢働いてたんだよね。そういう人達は、辛いことを経験しながらもそんな中で生きる技を身につけてきたり、その後の人生を共にする人たちとの付き合いを得たり、失敗も含めて自分なりの人生を生きてきたんだということを、知らない人に伝えていきたいっていう気持ちがある。
だからか、ゲストはいつもとうとうと喋ってる感じがする。普段まとまって喋ることはないはずなんだけど、1時間くらいあんまり途切れずに喋れる。その人の中に、今まで生きてきた人生の筋書きが本としてあって、それを読みながら喋ってるという感じ。聴く側は、その人を通して、生きた時代や世の中の暗がりみたいなところが見えてくる。殴られたりドヤされたりしながら働いて、生きてきた彼らの喜怒哀楽に満ちた人生は、これからの人生を生き抜く人間像のヒントにもなるはず。
このこと1つとっても、すいごごカフェの報告の普及と、語り部を育てていくことが大事だと感じる。そのために、すいごごカフェはもちろん、当法人の名前も活動も知らない人達に対して広く発信していく必要がある。すいごごカフェ報告をまとめた年誌サンプルを作成し、これを持って多方面に情報発信を行っているが、こうした取り組みが他地域でも広がり、とりわけそれぞれの自治体の事業として根付いていくことを展望しつつ、自分達のできる一歩を確実に進めたい。
質疑応答
会って、見て、聴くことから始める意味
日吉:ほっと越谷の助成金で、4年くらい前に2名の方にお願いして出張すいごごをやった。その後集めたアンケートで、語る人の障害が何かという情報はなんで何もないのか?という意見をもらったんだけど、あらかじめなんでもわかってるよりも、その人と会ってみて知ってもらいたいっていうのが、司会をやらせてもらってる私の気持ち。
黒田:障害者のことをわからない人に話をしても、この人はこういう人だって前もってわかってないと、どういうことかわからないということもあるので、ちょっとわかってた方が話の内容もわかりやすくなると思う。
有竹:確かに、初めて話す人とかは話してることがごっちゃになっちゃうとか、話してる単語が独特なことがある。聞き慣れてない単語もいっぱいあるし。日吉さんみたいな理念があるなら、紹介のところに「今回は私を見てほしいと願っているので、とりあえずそれで始めさせてください」みたいにご自分の希望を伝えるところから始められてもいいのかなと思う。
水谷:私なんかは1ヶ月前から資料を集めたりしてどう話すか悩むんだけど、喋り慣れてる人はろくに準備しないで1時間喋ってるから、いつもすごいなと思ってる。それに、すいごごで喋った後は、その経験がものすごい誇りになってる人もいて。自分のことを喋るというのはとても重要な良い経験なんだなって思う。
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